原子力空母ロナルド・レーガン、横須賀に帰港


横須賀基地に帰港し、12号バースに向けてバックする原子力空母ロナルド・レーガン





甲板には水兵たちが整列し、登舷礼が行われた。
飛行甲板上には陸に降ろす荷物が並べられていたが、今回は故障した航空機とみられる機体は置かれていなかった。

艦橋上のマストには、巨大な戦闘旗が掲げられていた

戦闘旗には、艦番号の76の他に「322 B」という数字と文字が記されている

12月16日の朝、原子力空母ロナルド・レーガン(RONALD REAGAN CVN 76)が横須賀基地に帰港した。

近年は、パトロール航海から帰るたびに、レーガンの飛行甲板上に故障したと見られる航空機が置かれているのが通例のようになっていたが、今回はそのような機体は置かれていなかった。

9月12日に横須賀を出港したレーガンは、9月23日から26日にかけて韓国のプサンに寄港した後、9月末からは日本海で韓国海軍と米韓合同軍事演習を行った。
10月半ばにフィリピン周辺の海域に移動し、同月14日から18日まではマニラを訪れた。
11月初めに海自の観艦式に参加するため相模湾や三浦半島沖に一旦戻った後、11月半ばからは日米印豪共同訓練「マラバール2022」や日米共同統合演習「キーン・ソード23」、さらに「日米豪共同訓練」に参加した。
12月2日から8日にかけても、海自の発表によれば「関東南方から四国南方」で護衛艦「いかづち」などと共同訓練を行った。

原子力空母は、帰港後も1ヶ月間は、緊急事態が起きたときにはすぐに戦闘態勢に戻れる即応態勢を維持することになっている。
何事も起きなければ、来年1月の半ば過ぎ以降に横須賀で定期修理に入ることになるだろう。

ところで、12月16日のレーガンの横須賀入港の際には、登舷礼が行われていただけでなく、艦橋上のマストには巨大な戦闘旗(Battle FlagまたはBattle Ensign)が掲げられていた。
このレーガンの戦闘旗には、艦番号の76の他、322Bという数字と文字も書き込まれている。どうやらこれは、ロナルド・レーガン元大統領が1930年代に米軍に予備役で入隊した際に最初に配属された、第322騎兵連隊B中隊を表しているようだ。
それはともかく、原子力空母ロナルド・レーガンがわざわざ戦闘旗を掲げて横須賀に帰港したことは、異例のことではないか。一体いかなるメッセージが込められていたのだろうか。

この日、岸田政権はこれまでの自民党政権の政策を転換し、実質的な先制攻撃能力である「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えて保有することや、「防衛費」という名の事実上の軍事予算を今後5年間で大幅に増額することを閣議決定した。
攻撃を「反撃」と呼んでみても、中身は何も変わらない。
「戦争」を「事変」と言い換えてみたり、「撤退」を「転進」と呼んでみたりして、言葉の上だけ取り繕って破滅へと導いたかつてのやり方を、現代においても何の反省も無く踏襲するようだ。
日本列島に暮らす人びとの生命や生活を大きく左右する基本政策の転換について、岸田氏が米大統領に勝手に約束してきた内容を、市民の議論はもとより「国権の最高機関」たる国会の議論も無く閣議のみで「決定」するやり方は、米国政府の考える米国の「国益」のために活動する米軍に従うことを、民主主義よりも何よりも優先する「日本政府」の姿勢をあからさまに示したものと言えるだろう。

もしかしたらレーガンの掲げた戦闘旗は、岸田政権の「決定」を歓迎し、米軍の矛や盾となって軍事行動を行ってもらうぞと、日本列島に暮らす人びとに呼びかけるメッセージだったのかもしれない。

(RIMPEACE編集部 星野 潔)(22.12.16 星野 撮影)


機銃を装備したポリス艇がレーガンの周囲を走っていた

少し離れた海上に海上保安庁の大型巡視船「あきつしま」が停船していた。今回のレーガンの入港との関連は不明だが


12号バースに接岸したレーガン


2022-12-17|HOME|