2008年(平成20年)(行ウ)第6号 埋立承認処分取消請求事件

 

意 見 陳 述 書

 

2012年4月11日

山口地方裁判所 第1部 御中

 

原 告  田 村  順 玄

 

 

 

1.私は、岩国基地沖合移設事業埋立承認処分取消請求訴訟原告団長の田村順玄です。4年前の2008年2月7日、本訴訟を提訴してから、早4年の歳月が経過しました。その間にも工事は進行し基地は広大に埋め立てられ、その敷地に完成した新しい滑走路では航空機の離発着も始まりました。そして残余の敷地ではその後も、米軍再編計画に対応する新たな施設建設が大規模に継続されております。
  岩国基地はまさにこの度の沖合移設事業により1.4倍に拡大し、岩国市民が「悲願」と言うまくらことばまで付けて求めてきた沖合移設事業の効果である「騒音の軽減」や「墜落の危険からの回避」といった安全対策など当初の目的を大きく逸脱した、極東一の米軍基地建設工事が継続しています。
  私はこの沖合移設事業が今日展開している危険な米軍基地の本質を、計画当初から鋭く指摘し警鐘を鳴らしてきました。そして事業の中止を求め続けてきましたがそれも叶わず、30年を越える歳月を経過することになりました。

2. 昭和57年1月20日、東京・平河町の砂防会館では岩国から大挙上京した関係者により「岩国基地沖合移設促進大会」が開催されました。それは、この事業を想起した初めての市議会決議から既に14年の歳月が経過している時でしたが、一向に前進しない事業進展の突破口にしようと、政府や国会議員へのインパクトを考え移設を推進する団体が実施した東京での大行動でした(別紙1)。
  その会場となった砂防会館の入口前で私は、「沖合移設は実現しても跡地は市民に戻ってきません!」「岩国基地沖合移設・実は基地の拡大強化に」などと書いたチラシを持参し、大会参加者に配付していました。会場を埋めたのは大金を掛け動員された岩国市内の自治会代表や県内の政財界関係者、行政に懇請され参加した在京の企業の社員で、自民党を中心にした国防族議員への訴えの場となりました。
 こうして、「砂防会館での決起集会は大成功した」と後日報道されましたが、その一方で、私や一緒に参加した岩国市の職員の同僚たちは、岩国市長から、「全市民総意の『沖合移設事業』実施へ向けた東京での決起集会の会場前で、その目的に反対するチラシを配付した」として、「文書訓告」という処分を受けたことを今でも思い出します。しかしその際に会場前で配付したチラシには明確に、この事業が基地の拡大強化に結び付くものだということ、移設後の基地跡地が市民に返還されるものでは無いことを厳しく指摘していました(別紙2)。


3.岩国基地沖合移設事業はその後も「調査費」という形で形式的な予算が計上され時間の経過が積み上げられました。そしてその後約10年後の平成4年8月、密かに市民を裏切る大変な約束が地元県・市と国の間で交わされていたことが、その時点から9年も先の平成13年6月に明らかになりました。
  私たちはこの約束を「密約」と言いますが、滑走路を沖合に1,000メートル移転したなら、新たな滑走路で空母艦載機の夜間離着陸訓練を実施しても良いというとんでもない取り決めがなされている国と地元「県・市」の答弁を記録した合意議事録が発覚したのです。この「県・市」が了解した条件をもって、当時の大蔵省は多額の国費を投入する沖合移設事業を本格実施する事へのゴーサインを出したのですが、こうした「密約」存在の事実が白日にさらされたのは岩国基地沖合移設事業の埋立工事が概ね概成しその事実を検証することが出来ないような既成事実の出来上がった時点でした。
4.この「密約」文書を錦の御旗に防衛省は岩国基地沖合移設事業をその後大きく促進させていきました。そして、漁業補償や環境アセスメント・公有水面埋立の手続きを終えた平成9年6月1日、華やかに起工式が行われました。
   私が今手元に持つ当時の新聞記事では、「岩国基地滑走路沖合移設起工式、賛否両論の中始動」の大見出しの記事が社会面のトップを飾っています(別紙3)。その記事は私のコメントを次の様に取り上げています。「一方、基地周辺の海上ではピースリンク広島・呉・岩国のメンバーがデモを繰り広げた。駆けつけた岩国市職平和研究所代表で岩国市議の田村順玄さんは『沖合移設は、基地の機能強化につながる。広大な藻場と干潟を消滅させながら、経済的な潤いを前面に出した市の姿勢は決して市民の悲願ではない。』と訴えた。」と発言しています。当時岩国市議の一期目で張り切っていた私の市議会活動の一端ですが、防衛省はこの起工式の案内状を私にはよこしませんでした。その有り様を取材し報道した新聞記事があります。「反対派議員は来なくて結構!」という大見出しで、記事は起工式を主催した当時の広島防衛施設局が総数270名の案内対象者から私を含め岩国基地沖合移設事業に反対していた市議4名と県議1名の計5名を、「事業に協力していただいていない方と判断した。」と説明したということでした(別紙4)。
  しかしこの時点で、岩国基地沖合移設事業で完成した後の基地施設に厚木からの艦載機部隊が配備されるなどというその後の政府の思惑が判っていたなら、案内された対象者の内からももっと多くの関係者がこの事業に疑問や「反対」の姿勢を示したことでしょう。着工時においても1,600億円もの国民の税金を投入して行うこの事業が、いかに欺瞞に満ち恣意 的なものであったかを物語る起工式での事件です。


5.岩国基地沖合移設事業はこうして2007年度から本格的に工事が始まり、2010年5月に新滑走路の運用が始まりました。当初1,600億円だった事業費は最終的には2,500億円に膨らみ、引き続く米軍再編計画に伴う施設整備に移行して さらに1、500億円越える国民の税金投入がその後も継続して投入されています。
  そして、そのように米軍再編に伴う空母艦載機部隊等の受け皿として整備される岩国基地は、今もその建設工事が継続されているのです。
  公有水面埋立の事業とは、埋め立てられその土地の上に当初から計画していた施設が完成するまではその行為が継続していると解されるべきです。ですから、当初の承認申請から大きく目的を逸脱した現在の事業行為は明らかに改められるべきものです。
  もちろん、政府の岩国基地を今日の様に逸脱し運用しようとしている行為については6年前の2006年3月12日に岩国市民が住民投票でしめした「艦載機の岩国移転反対」の意思で明確に証明されています。
   しかしなお、新滑走路運用から3年目の2012年年明けから日米政府の岩国基地を活用した新たな基地運用施策が次々を発表され岩国市民を困惑させています。沖縄の海兵隊部隊1,500名を岩国基地へ移転させるという検討や、MV−22オスプレイの岩国基地への先行移駐や数十万人もの入場が予測される日米親善デーにおける身分証提示義務の提案など、本当に日本国民の安全保障のために日本に駐留する在日米軍であるのか疑いたくなる状況が続いています。

6.私はこの4年間、多くの皆さんと共にこの裁判でしてきた主張に基づき、以上のように当初からの目的にも大きく外れた岩国基地沖合移設事業の誤りを改めて厳しく指摘いたします。よって、岩国基地の「公有水面埋立承認」は当然取り消されるべきだと主張いたします。裁判所におかれましては公正なご判断を示されますようここに陳述いたします。