5月5日、岩国基地「日米親善デー」、市民を敵視する「在日米軍」の本質

米軍が再び、田村順玄市議の入場を拒否!



「なぜ私を入場させないのか?」 岩国基地正門前で説明を求める田村市議(2012.5.5 撮影)

 東日本大震災で展開した「トモダチ作戦」の影響で昨年は実施されなかった米海兵隊岩国基地の「日米親善デー」行事が5月5日開催された。2年ぶりで連休の後半、入場料がいらないという 効果が奏してか、この日岩国基地に集まった人々は主催者側の発表で28万人と過去最大を記録した。

 基地沖合移設事業で1.4倍に広がり新滑走路運用後初めての基地開放、普段は身近に見ることが出来ない軍用機がすぐそばで見学できるとあって参加者は全国各地から集まった。しかし米軍は これまでなかった入場者への身分証の提示を求め、入門が許される基地正門周辺は大混乱に。その影響で市内の道路は大渋滞し、山陽自動車道の岩国インターから基地まで普段なら20分という 距離が5時間以上かかる始末で、入門時間(午後1時半まで)に間に合わなかった人も沢山出た。

 この行事に筆者は30年以上前からゲート前で入場者にビラを配り、岩国基地に反対の姿勢を貫いてきた。今年も、「ピースリンク広島・呉・岩国」「リムピース岩国」「住民投票の成果を活 かす岩国市民の会」のメンバーが集まり、3千枚近いビラを配り一時間近くで配付を完了した。やっと正門前まで辿り着いても、そこからゲートを通過するまでゆうに20分は掛かる今年は異常 な状態が目の前にあった。

 午前10時からのビラ配付行動を前に、筆者は昨年9月の「海自岩国航空基地祭」で入場拒否の扱いを受けた経過から「さて今日の米軍はどうするか」と確かめてみようと入場を試みた。筆者の 扱い結果は大きなニュース性もあり、多くのメディアがその動向を見守った。基地正門で終点となった都市計画道路の交差点が基地正門、かなり広い交差点エリアはギッシリ入場者で埋まり人一目 みて千人以上、ほとんど動かない状態だ。

 交差点と基地施設を区分する「イエローライン」を過ぎるとそこからは基地側の管理区域、前方から10人近い米軍憲兵隊の日本人警備員の顔が入場者を見つめている。同行していた友人が耳 で「私たちを確認したようだ」と教えてくれたあと、彼らの動きが慌ただしくなった。トランシーバーで連絡を取り合い、まもなく人垣をかき分け5〜6人の警備員が前にはだかった。昨年9月 の時に顔見知りになった警備員達で、「ここでお引き取りを」と筆者の入場を拒む。

 「理由は何か」「誰の命令か」「なぜ入場できないのか」と質問するが、「昨年と同じ」と具体的な説明はせず身分確認もしない。「田村さんのことはよくわかっておりますので確認の必要は ありません」と言うような答弁で終始する。「米軍の命令というのならその責任ある人を出せ」と詰め寄ると「連絡してみます」との答えで暫く待つが返答がく、催促してやっと「連絡したが出て こない」「改めて要請されれば!」と開き直り膠着状態になった。

 すでに米軍の管理区域ではあるし、他の入場者に迷惑が掛かる状態の中でビラ配付の開始予定の午前10時が近づいてきた。今日はこれ以上の抵抗はせず、今後改めて対処することとし、入場 の試みはこの辺で終えることとした。結局この日、28万人と言われる入場者のうち入場出来なかったのは筆者たった一人、米軍が筆者だけの入場を認めない理由とは「日米親善」というリスク を越えてまで貫いている理由が今ひとつわからない。

 ただ筆者がこれまで、15年以上続けてきた「軍隊にも秘密があってはなりません。!」「「あなたは知っていますか?在日米軍の実態?」と掲げた「リムピース」の活動、在日米軍の動きに 迫る取り組みが、米軍や自衛隊にとって本当に目の上のこぶになっているということだけは事実だろう。
 もしそれが理由なら、ささやかな市民の行動も決しておろそかには出来ないという私たちの行動が改めて意味があるということを、改めて証明してくれたことになる。

 後日、このことが新聞やテレビで報道され、道行くひとが口々に「大変でしたね。」とか「まったく米軍は許せない」と憤りと共感の声を寄せてくれる。これから改めて問題の本質を掘り下げ、 原因の究明や再発の防止をじっくり取り組んでみたいと思っている。

 2012年5月5日、岩国基地「日米親善デー」の顛末である。

(リムピース岩国 田村 順玄・岩国市議) 


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