オスプレイが去った岩国から

  
3月6日に岩国に着陸するオスプレイの3機編隊

 5ヵ月ぶり、本土で始めての低空飛行訓練を行うためにMV22オスプレイが岩国へ戻ってきた。昨年7月23日、オスプレイは岩国基地に陸揚げされ9月21日には岩国の空を始めて飛んだ。普天間基地に移動しても日米合意を無視し、重量物を吊り下げた超低空訓練やペットボトル落下事故など危険な飛行訓練が続き、沖縄県民の怒りが増幅する状況が続いていた。

 米軍は本土での低空飛行訓練を昨年末には実施すると宣言していたが、今になって「さも沖縄の負担を軽減させるため」というイメージも込めて「3日間、岩国基地を拠点に訓練を実施する」と伝えてきた。しかも訓練2日前まで九州に設定された「イエロールート」での実施を伝えながら、前日になって急遽「オレンジルート」で訓練すると計画を変更するドタバタな通告。予定飛行コース直下の自治体には動揺が広がり、混乱が増幅した。この事態に最も振り回されたのは、マスコミの対応である。 報道体制は九州に設定されたイエロールートと四国に設定されたオレンジルートでは大きく事情が異なり、全国紙各社は関西本社と福岡の西部本社で扱いその対応も大きく変わる。事態を飛行直下の住民に伝える体制にも大きな混乱が生じ、もちろん、ルート下の自治体へは詳しい飛行予定も伝わって来ない。 前日、岩国市に届いた米軍からの報道通知では、イエロールートで訓練期間中に自衛隊がルート下の演習場で実弾射撃演習を行うことが判り、急に訓練コースを変更したと説明したが、自衛隊の訓練予定は事前から通告されていたもので米軍が知らなかったという理由は当たらない。

 昨年7月から10月の岩国で取り組んだオスプレイ配備反対の取り組みは、岩国周辺の市民団体が垣根を越えひとつにまとまり共闘体制を確立、大きく盛り上がった。その経験を大切に、今回も市民の力を結集し岩国基地を拠点にした低空飛行訓練を阻止しようと統一した反対行動の実施が組織された。そして訓練4日前の3月2日、実行委員会が立ち上がり緊急の市民集会が開催された。

 オスプレイの低空飛行訓練に抗議する緊急行動」と位置づけ、実行委員会の立ち上げ3日後で本番開催、実に訓練開始の前日3月5日の緊急抗議集会である。この日は午後と夜、市民の集いを連続して実施し6日から8日までは基地の側で終日の監視行動を各団体が交代で行うことを確認した。岩国市役所前で開催した抗議集会では、ヘリウムガスをいれた風船が数百個用意され、最後に青空へ放たれた。風船はこれから行われるであろう150mや300mの高度をあっという間に越え、彼方に飛んでいった。改めてオスプレイの超低空飛行の低さを実感した。

 3月6日、オスプレイの飛来を迎え撃とうとマスコミ各社は大きな取材体制を準備し、早朝から滑走路北側の堤防土手にはテレビ局各社の中継車が並んだ。空にはヘリコプターが何機も飛びそちらの騒音の方が目立つ程の取材体制だったが待つこと半日、沖縄からオスプレイ出発の情報は届いてこない。とうとうこの日、オスプレイが岩国基地に着陸したのは15時50分頃、13時過ぎに普天間基地を離陸してそのままオレンジルートに向かい和歌山県側からルートに入り岩国基地へ向かったようだ。こうして1日目が終わり、2日目3月7日もオスプレイは日中は基地を離陸する気配を見せず、そのまま日没を迎えた。いよいよ夜間訓練に突入か、殆ど肉眼では見ることの出来ない暗闇になった19時50分、3機のうちの2機だけがエプロンを動き出した。ホバーリングのあと数回滑走路周辺を飛び、四国方面に飛び去った。その後オスプレイはわずか40分後の20時30分頃基地に帰還。オレンジルートを途中まで夜間低空飛行訓練を行なったらしいと報じられた。  そして最終の3月8日、この日もオスプレイは午前中全く飛行せず、13時過ぎに3機が揃って岩国基地を離陸、結局この日はそのまま普天間基地に向かい15時20分同基地に着陸した。ことが確認された。 こうして3日間の本土訓練は終了したが、最初から最後まで米軍の行動は不可解で情報も正しく伝わらず私たちを翻弄し続けた。

  「リムピース」は今回の本土低空飛行訓練を分析した。6日と8日の飛行は報道された通りと思われるものの、7日の夜間低空飛行訓練は実際は四国のオレンジルート付近を幾らか飛行した程度で「低空飛行は行っていない」と思われると判断した。オスプレイはこの日、オレンジルートを飛ぶ計画であったと思われるが、19時50分頃基地を離陸し、40分後に岩国基地へ帰還した。この時間ではとてもオレンジルートを全部たどれない。オレンジルートをホーネットが飛ぶ場合でも端から端まで30分かかる。滅多にないことだがルートの途中のポイントから入ったとしても、その飛行は本山町から西となり、マスコミも展開し、役場の監視網も敷かれていて、どこかでその網にかかったはずだ。
 7日の夜のオスプレイは、おそらく有視界飛行で四国の北側を中心に飛んで岩国に戻ったとみられる。夜間の低空飛行ルートをたどる訓練ではなかったのではないか。

   結局今回の3日間の本土低空飛行訓練は、まさにこれからオスプレイが本土で連続して各地で低空飛行訓練を行うと言う「あいさつ」と「実績」を積み上げた程度とみられ、次回以降がいよいよ本格的な訓練実施と思われる。しかし、この間も四国各地では多くの目撃記録が確認され、大きなオスプレイ包囲網が築かれつつある。

 私たちは決して、「オスプレイはこんなものか」と安く見るのではなく、しつこくしぶとく、監視の手を強めてゆかなければならない。夏にはさらに12機のオスプレイが岩国経由で送り込まれることだろう。必ず日本から、オスプレイをアメリカへ送り返すまで全国の仲間が取り組みを強めねばならない。そのためにも岩国の地からオスプレイ反対の行動を頑張ってゆく決意だ。

(田村順玄 岩国市議・RIMPEACE共同代表)(写真は 戸村良人さん 撮影)

 
3月8日に岩国を離陸して普天間に戻るオスプレイ


2013-3-11|HOME|