「普天間の墜落事故を起こした部隊」が今、岩国に来ている
2002年3月から、米海兵隊の大型輸送ヘリCH53D8機からなる部隊が岩国基地に配備されている。ハワイにいるCH53Dの飛行隊が交代で派遣されてくる。沖縄海兵隊によく見られるUDP(部隊展開計画)に基づくもので、通常6ヵ月交代で次の部隊がハワイからやってくる。これも海兵隊の部隊交代の際によく見られることだが、機体は岩国に置いたままで、パイロットや整備要員など飛行隊構成員だけが交代している。
ハワイにいるCH53Dの実戦飛行隊は、HMH463,HMH363,HMH362の3個だ。2004年4月にHMH362と交代して岩国に来たのはHMH463(ニックネーム:ペガサス、以下ペガサス部隊という)だった。
このペガサス部隊が、岩国に居つかず、すぐに東南アジアにでかけ、そのまま普天間基地を「ホームベース」にした。(別稿参照)
このとき、同じに普天間に動員されたCH53Dの部隊があった。HMH363(ニックネーム:レッドライオン、以下赤ライオン部隊という)で、岩国にもUDPで来たことがある部隊だ。
RIMPEACE編集部は6月中旬に、普天間基地で両方の部隊のCH53Dヘリが飛んでいるのを確認している。赤ライオン部隊が普天間にやってきたときから4機だったのか、それとも8機でやってきて途中で4機戻って4機になったのかは不明だ。しかし墜落事故の直前には合計12機(ペガサス8機、赤ライオン4機)になっていた。
それでは墜落した機体は、もともとどちらの部隊に属していたのだろうか。外務省は最近「墜落したのは岩国から普天間に行ったヘリではない」と質問に答えている。米軍の肩ばかり持つ外務省の言うことは「眉唾もの」だが、今回のこの答えに限っては、いわゆる「事故報告書」との整合性がある。
「事故報告書」の作成者(海兵隊中佐)が事故原因と推定している未公認の修理手順(Modified Quick Rig)が行われていたのは,赤ライオン部隊の整備部門だった(報告書の Page 16 of 210)
事故機を整備した海兵隊伍長は赤ライオン部隊の所属だった(報告書の Page 45 of 210)
04年8月13日に事故機の修理の検証を行ったのは赤ライオン部隊だった(報告書の Page 32 of 210)
東門代議士の質問趣意書に対する12月14日付けの総理大臣の答弁書の中に、以下の記述がある。「合衆国政府に確認したところ、岩国飛行場に配備されているヘリコプター中隊に所属する本件同型機三機がイラクに移動したとのことである」
ペガサスの3機がイラクに向かったということだ。
「事故機は岩国から来たペガサス部隊所属ではなく、ハワイから来た赤ライオン部隊所属機だった」という前提で考えれば、見きり発車でエセックスに載った6機のCH53Dのうち、事故機以外の3機の赤ライオン部隊のCH53Dが全部イラクに行ったことになる。ペガサス部隊8機のうち、イラクに行った3機以外の5機が岩国に戻ることになり、10月28日にまず3機が普天間基地から岩国基地に向かった。残りの2機も11月中旬に岩国に向かうと発表されたが、いまだに普天間に残っている。
機数と部隊のつじつまは合ったが、問題はこれで終わりではない。岩国に戻ったペガサス部隊が12月にハワイに戻り、入れ替わりにやってきたのが、あの赤ライオン部隊なのだ。3機の機体は岩国に残したまま、パイロットや整備兵が来たのだが、この整備部隊が先にあげたような「未公認の修理手順」の温床なのだ。
「事故報告書」の中で示された改善策はどうなったのか、外務省は確認したのだろうか。そもそも事故の当事者たちがイラクに行っている状況で、改善策の徹底さえおぼつかないのではないか、と思うのだが。
(田村順玄・岩国市議)
'2005-1-1|HOME|