一ヵ月後の墜落現場は生々しかった



沖縄国際大学1号館の壁に残る墜落の跡と、焼け焦げた樹木(9.15 撮影)


(左)土壌調査のためのボーリングのヤグラと焼け焦げた樹木、(右)現場に設置されている放射線測定のための計器(9.15 撮影)

8月13日に起きた普天間のCH53Dヘリ墜落事故から1ヶ月が過ぎた9月15日に、墜落現場を訪ねた。

壁に残る激突炎上の跡、焼け焦げた樹木。米軍が機体や土壌を持ち去った事故現場は、その状態のまま保存されていた。そして、残留放射性物質調査のためのボーリング調査が、開始されていた。

現場が生々しく感じられたのは、焼け焦げた跡が残っているためだけではない。その直前まで見下ろしていた普天間基地で、ヘリが離着陸を行い、輸送機や空中給油機が離陸しているのを見ていたからだ。

墜落は過去のことではない。普天間基地で航空機が運用される限り、事故が再び起きることを、宜野湾市民、沖縄県民ははっきり意識している。それが、12日の市民大会への主催者の予想を超える3万人の結集として現れている。

辺野古への移設は解決にならないことが、この事故で事実として示された。県内移設は生命の危険のたらい回しに過ぎず、また少なくとも15年はかかる海上基地完成まで普天間基地を現行通り使用させることは、15年間基地周辺住民を生命の危険にさらすことと同義だからだ。

(RIMPEACE編集部)



9月15日に、普天間基地を飛び立つCH46ヘリとKC130空中給油機

2004-9-18|HOME