確実に一歩進んだ辺野古の闘い(1)


09時57分:防衛施設庁の作業船3隻と警戒船1隻が第2ポイントのヤグラに向かう。後方のヤグラは第1ポイント


10時08分:第2ポイントのヤグラの周囲を巡る作業船。ヤグラは反対メンバーと抗議船が固めている


11時47分:午前中の闘いに勝利。ついに作業船があきらめて引き上げる(2005.1.21 撮影)


1月21日現在、テントでの座り込みは278日となった

2ヵ月ぶりに訪れた辺野古の闘いの現場は様変わりしていた。二ヵ月前にスパット台船がはじめて辺野古沖に姿を見せたとき、迎え撃つ抗議船は2隻だった。今は、近隣の海人(うみんちゅ)が支援に駆けつけ、十数隻の船が加わって施設庁の作業を止めている。

1月13日に激しい戦いがあった。悪天候で中城(なかぐすく)港に避難していた作業台船が再び辺野古沖に現れた。それを抗議船7隻が命がけで撃退してしまったのだ。ジュゴンの家・日誌,1月Bのなかの「晋くん日誌・作業台船を撃退」に、臨場感あふれる描写がされている。(最近読んだ中でピカイチのレポート)

21日に訪れた朝、すでに沖の4つの調査用のヤグラには、いつものように辺野古の基地建設を絶対に止める決意を持った人たちが取り付いていた。その周りにはそれぞれ3隻の抗議船も。10時前、作業船・警戒船が第2ポイントのヤグラに向かい、周囲をぐるぐる回り出した。漁港の堤防から遠望している筆者には、獲物を狙うハイエナのように見えた。

防衛施設庁側の作業は、ヤグラのパイプのつなぎ目の交換がねらいだった。ヤグラを撤去するというならともかく、調査ヤグラの強化など許せるはずもない。作業船の接近を許さず、昼前に作業船と警戒船は引き上げていった。このときの現場からのレポートはジュゴンの家・日誌,1月Cのなかの21日の項に載っている。

(RIMPEACE編集部)


13日の反対行動で辺野古の作業海域に入れずに、中城港に引き返したスパット台船(2005.1.17 撮影)


'2005-1-23|HOME|