正義は我に在り、辺野古の闘い


リーフの上から第5ポイントのヤグラを望む(2005.3.14 撮影)

3月14日の辺野古。再び激励船に乗り、各ポイントのヤグラを回った。第1ポイントのヤグラには作業船が2隻ついていて、作業船とヤグラの間には阻止船が入っている。近づいた我々のボートが気になるのか、作業船の上から我々に向けてずっとビデオを回していた。
4つのポイントを回ったあとテントに戻ったが、辺野古の海の美しさには、2度目だけれどもまた感激してしまった。

この日も、実質的な作業は全て阻止し、作業船もおとなしく引き揚げていった。異変は2日あとに起こった。スパット台船が夜中のうちに辺野古沖に回航されてきた。防衛施設庁が県に提出したボーリング調査計画では、夜にリーフを回遊するジュゴンに悪影響を与えないため、作業開始は日の出の1時間後、としていた。それを完全に無視したものだ。

現地に泊まりこんでいた反対派のメンバーが直ちに船を出し、台船に向かった。若者たちが台船に飛び乗り、説得をした。反対派の船が台船の回りを走りまわり、結局施設庁側は作業をあきらめた。(台船に飛び乗った若者の話し)

辺野古への普天間代替基地の建設は今、見なおされつつある。それなのに、環境に致命的な影響を与える海上基地建設の作業を防衛施設庁はすすめようとしている。それを文字通り命がけで阻止しているのが、辺野古の戦いであり、沖縄はもとより全国から集まった人たちがその闘いを支えている。

それは、ベトナム戦争の末期、パリ和平会談が始まった後も、ベトナム向け米軍戦車を修理して運び出そうとしていた相模補給廠前に、多くの人たちが座り込んだ闘いと通じるものがある。当時、筆者もベトナム向け戦車搬出阻止のために座り込んでいた。そのとき、これほど正邪のハッキリした闘いはない、と感じたことを30年以上経った今でもよく覚えている。
辺野古でがんばっている人たちにその話しをしたことはないが、短時間でもテントにすわり、彼らの話しを聞いていると、そのパトスは同じなんだな、という気持ちがしてならない。

(RIMPEACE編集部)


ボートの上から見たリーフの底。こんなに澄み切った海を、日本政府は基地に変えようとしている(2005.3.14 撮影)


第1ポイントのヤグラに接近した作業船。作業船に掲げられた白と青の旗は信号旗で「当船は潜水夫をおろしている。微速で十分避けよ」という意味だ。潜水作業を目論んでいたのかもしれないが、作業は阻止されたままだ(2005.3.14 撮影)


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