辺野古の闘い、昼と夜


突然始まった施設庁の看板貼り作業。作業の強行は許さない、と全力で抵抗する。差しこまれるワイヤーを素手で防ぐ。


作業強行前に、単管ヤグラの周りをめぐる施設庁のチャーター船(5月16日撮影)

普天間基地包囲行動のあった翌16日、辺野古の座り込み現場を訪ねた。ボーリング調査を強行しようとして防衛施設庁が立てた単管ヤグラの上でも、反対派が調査阻止行動を続けている。

行動要員の交代で、小舟に乗ってリーフの上に立つヤグラに向かった。海洋生物保護のために夜間作業は行わない、とした県との約束を反故にして、夜間に施設庁がヤグラに張った金網が、2ヶ月前との状況の変化を示していた。ヤグラに入りこんでまもなく、何の前触れもなく施設庁が、金網に立ち入り禁止の看板を貼ろうとして作業船を横付けしてきた。作業員の体には触れない、非暴力で作業を阻止する、という原則のもと、金網に手を押し付けて看板貼り付けを防ぐ人、海中に飛びこみ作業船をヤグラから押し戻す人、作業員がヤグラに入ってくるのを防ぐために、狭い出入り口を身体でふさぐ人。作業が中断されるまでの数十分は、のどがカラカラに乾くような思いがした。

金網越しの闘いで、指先に血がにじんでいる人が双方に出ていた。これが夜間の作業強行ならどんな危険なことが起きるか、見当がつかない。

夕方、交代して陸に上がったが、その2日後、こんどは夜間作業の警戒のため、ヤグラに上って一晩がんばるメンバーに加わった。沖縄の遅い夕暮れ時に、船で4つのヤグラのひとつに向かう。雨よけのビニールシートを張り終わったころ、大型のゴムボートに乗った施設庁の警備担当が周ってくる。「危険ですから直ちに退去してください」などと何べんも叫んでから、遠くはなれた別のヤグラに向かっていった。ゴムボートについている2連のエンジンはヨコスカで見る米軍の警備艇とよく似ていた。多分450馬力なんだろう。周囲が暗くなると、サーチライトでこちらを照らして写真を撮ったりしている。

22時前には、CH46ヘリが3機編隊で北部訓練場から普天間基地に戻って行った。キャンプシュワブと我々の居るヤグラの間のコースを通っていった。普天間周辺の住宅地を通るときは22時を完全に過ぎる。傍若無人な米軍ヘリの飛行を、ヤグラの上からも見ることになった。

この夜は、寒冷前線通過に伴う雷や大雨が予想されたため、本部の判断でいったん陸のテントに戻り、天候回復後の早朝に再びリーフ上のヤグラに戻った。
朝からのメンバーと交代して陸に戻ったとき、その日の朝刊に「辺野古沖調査 夜間作業、急転中断へ」という大見出しがあった。「安全作業がかなり困難だ」というのが施設庁側の見解だそうだが、そのままスンナリ信じることは出来ない。夜間のヤグラの上での警戒態勢も続く、という見方がその記事に書かれていた。

(RIMPEACE編集部)


施設庁の攻撃が中断した後、リーフの端ではアジサシ(?)が群舞していた


夜もヤグラに残って警戒するメンバーと交代で陸に戻る船からみた、辺野古の夕暮れ(5月16日撮影)


2005-5-22|HOME