事故同型機8機が並ぶ普天間基地



重輸送ヘリ部隊のハンガーの前に並ぶCH53D。ハンガーの中にも1機いる(05.7.6 撮影)

沖縄国際大学1号館のカベに残された1年前の墜落事故の跡。このカベが大学当局の手で取り外されている。市街地のど真ん中にある航空基地の危険性を語ってきたモニュメントは、事故の現場に保存することが最もよいと思う。たとえ移動後に保存しても、事故の恐怖を訴えるインパクトは確実に減少する。

カベの撤去が始まった日、1年前に事故を起こしたのと同型のCH53Dヘリ8機が普天間基地の中にいた。事故の遠因となったイラクへの展開から戻ってきたヘリは、一部が岩国に行ったりしたが、また普天間基地に戻ってきた。

事故のあった日に巨人のオーナーを辞任したヒトも、会長として復帰した。全国紙と地元紙で紙面の扱いが大きく分かれたこの2つのニュースの「主人公」は、ともに旧態に復した。

県の調査によれば、イラク展開で減少していた普天間基地の騒音回数も元に戻ったとのことだ。まるで事故がなかったかのように振舞う、普天間基地のヘリ部隊。それが、基地周辺の安全を確保するよりも、軍事行動遂行能力の維持を優先する軍隊の本質なのだろう。

(RIMPEACE編集部)


7月6日、事故の恐ろしさを伝える壁の撤去が始まった


'2005-7-11|HOME|