事故前の飛び方に戻った普天間ヘリ


CH53DヘリのGCA訓練。民家の真上を低高度で飛ぶ(9月16日撮影)


ビジュアル・アプローチでタッチアンドゴーを繰り返すときも、基地の外に大きくはみ出すコースを飛ぶ

嘉数の高台から普天間基地を見ていた9月16日、CH53DがGCAで降りてきた。あの事故機と同型のヘリが、ゆっくり低高度で大謝名、真栄原の民家の上を飛んでいった。

このヘリは、いったん普天間基地の滑走路に接地したあと、こんどは左回りのトラフィックパターンで、タッチアンドゴーをはじめた。嘉数高台と、海際のコンベンション・センターやラグナガーデンホテルを結んだ線よりもまだ、外(左)にはみ出していた。普天間基地の境界より大幅にはみ出したコースを飛んでいる。

2004年8月の墜落事故の直後に、事故を起こしたヘリ部隊は強襲揚陸艦エセックスに載ってイラクに向かった。残ったヘリは、普天間基地から飛び立って、訓練飛行を行っていたが、そのルートは今から思えば相当気を使ったものだった。(気を使えば飛んでもいい、というものでもないが)

事故直後は、嘉数高台に那覇防衛施設局の職員が毎日2、3人詰めていた。CH46が離陸すると、あれは基地からはみださずに飛んでいった、などと話しているのが印象的だった。(もちろん、最終的には基地からはみださないと、別の空域には行けないのだが)

05年4月に31MEUがイラクから戻ってきた。危惧されていた通り、戦場から戻ってきた部隊に、近隣住民の墜落の恐怖に対する配慮は無かった。飛行回数、飛行コース、爆音は事故前の水準に戻ってしまった。


(RIMPEACE編集部)


普天間基地の金網に貼りついて撮った、CH46の2機編隊の着陸。フェンスの内側を飛んでいる(04.11.19 撮影)


'2005-9-20|HOME|