辺野古・海自動員、そのとき「ぶんご」は?




横須賀・長浦港に入港中の「ぶんご」。後ろは同型艦の「うらが」(07.6.13 撮影)


戻ってきた「ぶんご」も停泊中の軍港・呉(07.6.8 撮影、提供 ピースリンク広島・呉・岩国)

5月18日からの辺野古周辺海域での「事前調査」機器設置に、海自が動員された。その海自動員の象徴が、掃海母艦ぶんごの出動 だった。実態はどうだったのだろうか。

来る来ると言われていた「ぶんご」の姿を求めて、取材陣は航空機まで使った態勢をしいていた。しかしどの報道機関も、そして現地で反対運動を 行っていた人たちも、だれも「ぶんご」の船影を見なかった。「あらゆる状況に対応できるように」派遣されたはずの「ぶんご」は、 「何かあればすぐに駆けつけられる」距離にはいなかった。

それでも海自は設置作業に参加した。潜水業務に長けた隊員を参加させた。自衛隊は海上の船からやってきたのではなく、港から出た作業船の中に混じって 潜水作業を行ったと見られる。
6月6日に予定されていた石垣港沖の不発弾処理について、海自沖縄基地隊が日程調整困難のため延期する、と石垣市に口頭で通告した。 「辺野古調査で不発弾処理延期」(5.22 琉球新報)、「海自調査動員で不発弾処理延期」(沖縄タイムス)と地元紙が報道した。
辺野古周辺海域で、潜水作業を行った海自の主力は、「ぶんご」の乗組員ではなく沖縄基地隊所属の隊員だったのではないか。

総務省沖縄行政評価事務所のページには、海自(佐世保地方隊)沖縄基地隊の業務内容として、防衛、警備、災害派遣・航空救難と並んで 機雷その他爆発性危険物の処理があげられている。
また、組織としては沖縄基地隊の下に、基地隊本部、沖縄水中処分隊、第46掃海隊をあげている。
那覇市の防災情報のページでは、不発弾処理の関係機関の担当課として、陸自第101不発弾処理隊と並んで、海自沖縄基地隊沖縄水中 処分隊があげられている。

辺野古周辺海域での水中作業は、海自沖縄基地隊水中処分隊の「縄張り」だ。辺野古沖への出動命令が出れば、真っ先に担当する部隊で あり、「ぶんご」の水中処分員はバックアップとなろう。沖縄基地隊水中処分隊が全力で辺野古に出張ったからこそ、その後の不発弾処理 作業の日程調整に問題が生じた、と考えるのが自然だ。それがなぜ、「ぶんご」が海自動員の象徴となり、沖縄基地隊水中処分隊については 何も言及がないのだろうか。

72年の本土復帰の後、進駐してきた自衛隊は、当初住民登録を拒否されるなど激しい「日本軍再進駐反対」の運動に直面した。自衛隊が 「市民権を獲得」するために重点的に行ったのが、離島からの急患輸送や不発弾処理という「民生協力」だった。
この担い手のひとつである沖縄水中処分隊が、反対運動と直接対決する現場に送り込まれることによるイメージダウンは、本土で想像する 以上のものがある。カムフラージュのために、「ぶんご」を海自派遣の象徴として、鳴り物入りで横須賀から出港させた、という見方も ありうる。

いずれにせよ、船体としての「ぶんご」は辺野古沖には現れなかった。しかし海自は別の形で作業に加わった。「ぶんご」の乗組員も 作業に加わったのかもしれない。ただ、自衛隊が出動する法的な位置づけは「札幌雪祭り」と同等でしかないことを、防衛大臣が認めざるを 得なかった。
根拠もなしに軍隊を動かし、また威嚇やカムフラージュに用いるのでは、自衛隊を私兵として使っているといわれても仕方が無い。

今回の海自の出動について、事後に何も広報がないのも、その後ろめたさの表れだろう。少なくとも、「朝雲」には、まったく記事が出ない。 ひっそりと呉に戻り、すぐにまた横須賀に回航された「ぶんご」の乗組員や、沖縄水中処分隊員は、今何を考えているのだろうか。
防衛大臣が「雪祭り支援」と同じレベルで考えていたことに、自分たちが巻き込まれたことを、どのように思っているのだろうか?

(RIMPEACE編集部)


機器設置が行われていた辺野古の海(07.5.20 撮影)


'2007-6-14|HOME|