事故同型機CH53Dの飛行再開は「見きり発車」だった


22日午前9時過ぎの普天間基地。大部分のヘリが20日にエセックスに載ったあとだ。
この数時間後に事故機と同型のCH53Dが6機飛び立った。

わかってはいたけど、これほどあけすけに言われると、改めて安全意識を疑いたくなる。8月27日に行われた第3海兵遠征軍の代表者の記者会見の記録が、米大使館から公表されている。事故直後からの米軍の対応を、米軍当事者が語った貴重な資料だ。

「8月17日、完全な安全検査の後、CH53Dを除く普天間の全てのヘリの飛行一時停止措置は解かれた」
「8月19日、CH53Dを除く普天間の全てのヘリの、最低限必要な飛行が再開された」
「8月20日、墜落事故調査の初期段階として、事故原因は事故機固有の問題だったとの結論を出した。テールローター部分の部品のうち、小さな保持部品が失われて、テールローターの制御が出来なくなった。この結論に従い、完璧な整備と安全検査を残りのCH53Dに行った結果、残ったCH53Dに飛行許可が出た」
「8月22日、6機のCH53Dがエセックスに載り、第31海兵遠征群に合流した。全世界規模でのテロとの闘いを支援するためだ」

以上は記者会見の冒頭に米海兵隊の代表者が語ったことの一部だ。
その後の記者とのやり取りの中で、「事故機固有の問題と強調されたが、この事故機担当の整備兵の勤務上の不熱心さが事故の原因なのか」という質問に対して
「部品が失われた原因は、我々は知らない。それが材質の欠陥だったのか、固定用のピンのとめ方が正しくなかったのか、我々は現時点でわからない」と海兵隊の代表者は答えている。
これらの問題を調べるのが事故調査の初歩であり、事故機と同型の6機のヘリが飛行したのは、その問題が解明される前だったことを、公式の場で発言したのだ。これを巷では「見きり発車」と言う。

見きり発車の背景には、普天間のヘリを含む第31海兵遠征群にイラク行きの出動命令が出ていたことがある。ヘリや兵士を乗せる「ヘリ空母」型揚陸艦エセックスは、事故の起きた13日には佐世保を出港し、翌14日にホワイトビーチに入港した。同行する揚陸艦ハーパーズフェリーは、12日にはホワイトビーチに入っていた。ペルシャ湾への展開期限を設定されて、普天間のヘリ部隊はエセックスに載る前に、事故処理と安全検査に時間をかけるわけにはいかなかった。それが、本当の原因が判明する前に、沖縄近海にまだエセックスがいるうちに、普天間から事故同型機を飛ばすという「見きり発車」の真相だ。

軍隊では、命令に従うことが最優先される。あれだけの大事故を起こしながら、真相がわからないままにヘリをまた住宅密集地の上を飛ばすのは、戦場での論理を、安全性を求める論理より優先させたからだ。

(RIMPEACE編集部)


ホワイトビーチで待機するエセックス(04.8.15 撮影)


ホワイトビーチで揚陸艦への積みこみを待つ軍用車両の群れ(04.8.15 撮影)


ヘリの飛行が止まった普天間基地でタッチアンドゴーを行う、原子力空母ステニス艦載の空母連絡機C2
(04.8.15 宜野湾市消防本部裏手で撮影)


'2004-8-29|HOME|