「ペルシャ湾配備の交代」は緊急任務だったのか?
−−−−普天間から強引にヘリを載せて行ったエセックス



沖縄からペルシャ湾まで。米海軍広報資料から作成したエセックスの航跡推定図

普天間のCH53Dヘリが沖国大に墜落したのが8月13日。同22日には事故原因も不明のまま、同型ヘリ6機が普天間基地から飛び立ち沖縄近海のヘリ空母エセックスに向かった。

「イラクの自由作戦を支援する、第三一海兵遠征部隊(31MEU)の戦闘任務支援の命令を受けて出発した」。CH53Dヘリの任務は「MEUの大規模な輸送能力を担う」(米海兵隊)
「イラクでの米軍の作戦上、墜落したCH53D型と同型のヘリを運航させる必要がある」(マハラック臨時代理大使)
「必要不可欠、最低限度の飛行だ」(ブラックマン在沖米四軍調整官、CH53D以外の飛行開始について)(以上、琉球新報記事より引用)

エセックスはヘリを載せてペルシャ湾に向かった。米軍や大使館の説明によれば、いかにも緊急の展開のような印象を与えた。本当にそうだったのだろうか?
下の2つの表は、いずれも米海軍が土日をのぞくほぼ毎日更新している広報資料、"Status of the Navy" からの抜粋だ。左は9月1日のもの、右は10月1日のものだ。




エセックス遠征打撃群(Essex Expeditionary Strike Group)は、エセックスなど三隻の揚陸艦隊がペルシャ湾に入った直後の9月10日に編成された。配下の揚陸艦、巡洋艦、駆逐艦、哨戒艇などを統合して、ペルシャ湾北部の安全と安定に責任を持つ部隊だ。
ただしこの任務は、エセックスが到着する前は、ベローウッドを中心とする第3遠征打撃群(Expeditionary Strike Group Three)のものだった。上の左右の表を比べてほしい。9月1日にはペルシャ湾にいたベローウッドなど3隻の揚陸艦が、ペルシャ湾を離れて本国に向かい、護衛の巡洋艦などを全部引き継ぐ形でエセックスなど佐世保から沖縄経由で展開した揚陸艦3隻が10月1日までに置き換わっている。

この動きを見る限り、エセックスのペルシャ湾配備は、単なる米軍内の部隊交代だったと言える。戦場と本国とのあいだのローテーションの維持を、米軍はきわめて重視している。特に「戦争の大義」が揺さぶられ、イラク戦争開始の是非について、本国内の世論が賛否半々になっているときに、軍隊の士気の減退を防ぐためには、ローテーションの維持は至上命題なのかもしれない。ただ、それは内部事情というものだ。

ペルシャ湾配備の期限を守ろうとする軍事優先、自国の論理優先、内部事情優先の考え方を押しつけた結果が、沖縄県民の総意であるヘリの飛行停止を無視して、事故原因も不明なうちにヘリを飛ばすという暴挙として現れた。何をしても日米安保体制に揺るぎは無い、という判断を米政府がした結果だ。ずいぶんとナメられたものだが、さて、日本政府はナメる側に立つのか、それともナメられる側に立つのだろうか。

(RIMPEACE編集部)


墜落事故直後の8月14日にホワイトビーチに入港したエセックス。まだ普天間のヘリは積んでいない


'2004-10-7|HOME|