事故報告書を読む

イラク派遣が事故の遠因ではなかったか?

8月13日に沖国大に墜落したCH53Dの整備クルーたちは、その直前の数日間、相当ハードな勤務態勢だった。
整備担当士官(海兵隊少佐)の指示で、エセックスと31MEUへの04年8月14日の展開に備えて、ヘリ部隊HMM−265のメンテナンス部門は、8月10日から2交代12時間勤務で仕事をしていた。(事故報告書より)
CH53Dの部隊もHMM−265に加わっていた。だからCH53Dの整備クルーたちも同じ勤務態勢で、オーバータイムを含めて、一回の勤務時間は夜のクルーは16時間、昼は14時間だった。(事故報告書より)
睡眠不足のため手が震えて、後部ローターを取り付けることが出来ない伍長もいた、と報告されている。

佐世保を母港とする強襲揚陸艦エセックスは、8月13日午前に佐世保を出港、14日にはホワイトビーチに入港した。ヘリ部隊が14日にエセックスに展開するという、事故前に発せられた命令に従う動きだった。ペルシャ湾に同行する揚陸艦ハーパーズフェリーは、既に12日にホワイトビーチに入っていた。
8月10日より前に出ていたエセックスへの展開命令のもと、展開予定のヘリの整備が昼夜兼行で続けられていたが、その整備作業のやり方にも問題があった。

事故報告書によれば、CH53Dの整備には二通りのコースがある。Full Rig と呼ばれる「完全コース」と、Quick Rig と呼ばれる「省略コース」だ。車の整備で言えば、車検前のフル点検と6ヵ月点検の違いのようなものだろうか。この2つのコースを整備対象によって選択するのが、決められた手順だ。
事故前の時点で、HMM−265中輸送ヘリ部隊を増強する大型ヘリCH53Dの部隊は、HMH−363とHMH−463の2つの飛行隊から派遣されていた。このうちHMH−363の内部で、"modified quick rig" という非公式なコースが行われていた。この「省略コースプラスα」に関連したチェック手続・引継ぎミスが、コッターピンという部品の装着ミスを発見できなかった原因だ、と報告書の作成者は推定している。(部品の装着ミスについての技術的な検証が済んでいないことは、別稿で指摘した)。

事故報告書作成者も言うように、問題なのは非公式な整備コースが何年も前から行われ、今回の事故機の整備だけの問題ではない、という点だ。事故が起きた背景には、勝手な省略手順と過酷な勤務態勢があった。さらにさかのぼれば、イラクやアフガンなどアメリカがあちこちで戦争をしかけ、整備部門が展開前に12時間交代で働かねばならないほど、ヘリコプターの整備が定常的に押せ押せになっていた状況の中で、この"modified quick rig"が多用されることになったのではないだろうか。

そもそも、岩国に展開していた部隊のCH53Dが、なぜ普天間にやってきて、エッセックスに載ってペルシャ湾に行くのか。それは、中東戦域での米軍のヘリ不足のために、普天間にいた改良型のCH53Eが送り出され、その後を埋める形でD型が岩国から回ってきたのだ。普天間への補充配備、エセックスへの展開命令にともなう無理な整備態勢が、今回の事故の遠因と言える。
恐ろしいのは、米軍が戦争をしかけつづけるため、事故を引き起こすこのような状況が常に存在していることだ。今回の事故は一過性のものではない。そんな状況にもかかわらず、今も普天間基地のヘリは飛行を続け、また事故機と同型のヘリが普天間から岩国に飛ぼうとしている。

(RIMPEACE編集部)


'2004-10-22|HOME|