金子ときおレポート

相模補給廠のPCB保管問題−市民の立場で基地問題を追及!!


 厳しかった選挙も終了しました。応援いただいた皆さん、本当にありがとうございました。お陰様で前回よりも、票数も順位も伸ばすことができました。全国で基地問題を取り組んでいるリムピースの議員も全員再選されました。ただ、東広島市で米軍の弾薬輸送の情報提供でお世話になった橋本尚子さんが残念ながら落選してしまいました。捲土重来を期しての今後のご活躍を祈りたいと思います。

 さて、この間、少しお留守になっていた基地問題、その空白を埋めるべく必死になっている今日この頃ですが、今回は選挙期間中の取組みも含めて、相模補給廠のPCB含有物の保管−その後について報告します。


 3月市議会で、この間明らかにしてきた相模補給廠でのPCB(ポリ塩化ビフェニール)の保管状況、事実経過の確認と、一日も早い相模補給廠からの撤去、米本国への搬出を求めた。市長答弁は、米軍に口頭で改めて事実関係の確認を要請するとともに、国−政府に対してもPCB含有物の保管の有無とその内容・種類、保管状況、搬出予定日時等を文書で照会したというものだった。

 一方、星条旗新聞(3月4日付け)は東京支局長の署名入りで、相模補給廠に保管のPCB含有物は1ヵ月以内に3分の2は国外・カナダに運び出されると報じていた(詳細はニュースNo.265掲載の訳文参照)。では、「1ヵ月以上」が過ぎた今、相模補給廠からPCB含有物は搬出されたのか…。

 答えはノーである。この2ヵ月間、搬出された様子もなく、市の渉外課にも問い合わせてみたが、搬出は確認していないという。他の情報では、日本政府が国外への搬出に移動手段の問題で待ったをかけているとのこと。真相は調査の上、追って報告したいと思うが、米軍そして日本政府、横浜防衛施設局は約束の“1ヵ月”が守れなかった理由を明らかにすべきだ。また、相模原市も理由の説明を求めるべきだ。


 こうした動きに対して、私の進めていた取組みには進展があった。情報公開の直接請求に対して、米軍から回答、情報の開示があったのだ。経過は概ね、以下の通り。

 PCBの保管が明らかになった時点で、米国「情報の自由法(FOIA)」を使って相模補給廠の有害物質の保管状況について情報公開請求を行う。当初の請求はここ5年間のすべての情報としていた。3月11日付けで、DRMSアジア地域部長のMr.Paul Ortiz 氏より返事があり、内容が膨大なので、物質を特定してほしい旨と伝えてきた。

 そこで、3月14日付けでまずは有害物質をPCB、重金属、アスベストを含む物質に限定して、再請求をした。、4月12日付けで返事(私の手元にAIR MAILが届いたのは選挙期間中の19日)があり、もう少し待ってほしいというものだった。

 早速、了解との返事を書き、速やかな対応を求めると、4月30日に今回の情報公開請求の回答(該当資料)第一陣が送られてきた。 200ページ余りのPCBに関する書類、相当なボリュームである。

 現在、翻訳・検討中。分析にはしばらく時間がかかりそうだ。また、その他の資料についてはまだ送られてきていない。到着の後、翻訳、分析のうえ、公表していきたいと思う。


 4月27日、周辺事態法案が衆議院で可決、参議院での審議に送られた。NATO軍の空爆も続行中である。基地問題を取り巻く状況はますます厳しくなっている。

 しかし、基地強化と軍国化は決して、市民のためのものではないと確信する。かつての相模原の軍都化は、農民の土地を強制的に取り上げることから始まった。そして、その行く末が敗戦であり、主を米軍に代えての基地の居座りだった。

 基地汚染の事実、疑惑の絶えぬ相模補給廠。PCB含有物の保管問題も然りである。基地問題を取り上げる時、もう一つ、厚木基地の爆音被害も忘れるわけにはいかない。どれも市民のいのちとくらしを脅かすものだ。

 戦争への後方支援も、基地汚染も、爆音禍もゴメンである。先行きは厳しくとも、市民の立場に立った基地問題の追及を今後も続けたいと思う。


 米軍機が相模原・町田市境に砂袋投下 この稿を書き終えた5月5日の夜、リムピースの仲間、福生の遠藤市議から電話が入る。その日の夕方、横田基地所属のC130輸送機が相模原と町田の市境に砂袋を投下したというものだった。翌日の米軍発表によれば、訓練中に誤って投下したとのことだが、基地から7キロも離れた所、理解に苦しむ出来事だ。被害なしとの報だが、人にでもぶつかったら、どうなったことか。まずは一報まで。