「ヤマサクラ87」の第1軍団の車両等、横浜NDから帰国(1)


2024年12月16日の夜、民間トレーラーで横浜ノースドックに搬入されたコンテナやトラック(24.12.16 星野 撮影)


12月16日に搬入された軍用車両、コンテナ、トレーラーなどを12月17日の午前中に撮影したもの(24.12.17 星野 撮影)


さらに続々と軍用車両が民間トレーラーに載せられて運ばれてきた(24.12.17 星野 撮影)


運ばれてきた軍用車両は、横浜ノースドックの埠頭先端部近くに降ろされて並べられた。米軍兵士たちの姿も見えた(24.12.17 星野 撮影)


12月18日の横浜ノースドック(24.12.18 星野 撮影)


12月18日も、軍用車両がトレーラーで横浜ノースドックに搬入されてきた(24.12.18 星野 撮影)


12月19日にも搬入があった。民間トレーラーから降ろされようとしているのは、移動式衛星通信ターミナル(STT:Satellite Transport Terminal)。
これについては別の記事で改めて紹介する(24.12.19 星野 撮影)


12月20日、横浜ノースドックに並ぶ軍用車両。建物の陰には2両のストライカー装甲車も並んでいるが、これについても別の記事で改めて紹介する(24.12.20 星野 撮影)


車両だけでなく、コンテナやトレーラーに載せられた電源装置、STT(移動式衛星通信ターミナル)なども並ぶ(24.12.20 星野 撮影)


電源装置を乗せたトレーラーやSTT(移動式衛星ターミナル)には、「1 CORPS」(第1軍団)と書かれている(24.12.20 星野 撮影)


このHEMTTトラックも「1 CORPS」だ(24.12.20 星野 撮影)


これらのトラックも「1 CORPS」だ。また、「HQ」や「HSC」という表示も見える(24.12.20 星野 撮影)


こちらは米軍画像サイトDVIDSに掲載されている、12月7日の相模総合補給廠での「ヤマサクラ87」の写真。
相模総合補給廠に「ヤマサクラ87」で派遣された米本土の予備役憲兵部隊の兵士たちの「記念写真」。その向こうに、「1 CORPS」のトラックが並べられている。
DVIDS記事「Yama Sakura 87 Military Police Officers」より引用
https://www.dvidshub.net/image/8786533/yama-sakura-87-military-police-officers

昨年(2024年)の12月16日から19日頃にかけて、横浜ノースドックに米陸軍の車両やトレーラー、コンテナ、さらにはストライカー装甲車などが運び込まれ、埠頭の先端部近くに並べられた。
ただしストライカー装甲車は、大さん橋やみなとみらい地区からは見えないように建物の陰に隠されていたが。

運び込まれた車両や資材などの多くには、陸軍第1軍団に所属することを意味する「1 CORPS」の文字が書かれていた。
トラックの前部には、「1CORPS」以外に「HQ」や「HSC」などの文字も書かれていた。司令部や司令部支援中隊(Headquaters Support Company)所属の車両だという意味だろう。

これらの車両は、キャンプ座間の「第1軍団(前方)司令部」に所属しているのではなく、米本土のワシントン州フォート・ルイスにある司令部に所属する車両や資材だったようだ。

ではなぜ、米本土の第1軍団司令部所属の車両などが横浜ノースドックに並べられていたのか。
それは、12月2日から14日にかけて実施された日米豪共同指揮所演習「ヤマサクラ87」に、米第1軍団が参加していたからだ。

防衛省の発表では、「ヤマサクラ87」は朝霞駐屯地、健軍駐屯地「等」で行われたとされている。
しかし、米軍のHPでは、朝霞や健軍以外に、第38防空砲兵旅団司令部のある相模総合補給廠も「ヤマサクラ87」の「会場」の一つとされており、横浜ノースドックに並べられていたトラックが「ヤマサクラ87」の期間中に滞在していたのは、朝霞でも健軍でもなく、相模総合補給廠だった。

もちろん演習当事者である防衛省が、相模総合補給廠で「ヤマサクラ87」が行われることを知らなかったわけではない。演習期間中には冨樫勇一東部方面総監らが相模総合補給廠を訪問している写真も、米軍の画像サイトにはしっかりとアップされている。
米軍が、相模総合補給廠も演習の舞台であることを当たり前のようにHPで報告しているということは、相模総合補給廠での「ヤマサクラ87」実施は、機密情報でも何でもないことを意味している。

にもかかわらず、なぜか防衛省は、相模総合補給廠が演習の会場の一つであることをわざわざ隠して「ヤマサクラ87」の報道発表をした。
防衛省はなぜ、その程度の情報すら隠すのか。
もしも、「相模総合補給廠は「等」の中に含まれており、情報を隠したわけではない」などと弁解するのだとすれば、それは市民を愚弄した言い草に過ぎない。

「ヤマサクラ87」を終えた後に横浜ノースドックに運ばれて並べられた米第1軍団の車や資材は、貨物船アライド・ブルックリン(ALLIED BROOKLYN)に12月29日に積み込まれた。この貨物船は、12月28日に暗くなってから横浜ノースドックに入港していた。
アライド・ブルックリンは、12月30日の18時近くに横浜ノースドックを出港して米国のタコマ港に現地時間の1月15日に入港した。
タコマ港の近くには、第1軍団司令部が置かれているフォート・ルイスがある。

(RIMPEACE編集部 星野 潔)


陸上自衛隊の2024年11月8日付けプレスリリース。なぜか「ヤマサクラ87」の「場所」に相模総合補給廠の名前がない。


2024年12月28日の夕方、東京湾を北上する貨物船アライド・ブルックリン(中央の船)。横浜ノースドックには暗くなってから入港した(24.12.28 星野 撮影)


貨物船アライド・ブルックリンへの積み込み作業は12月29日に行われた。写真は、ストライカー装甲車をふ頭から吊り上げたところ(24.12.29 星野 撮影)


12月30日、出港の数時間前のアライド・ブルックリン。補給と見られる作業が行われていた(24.12.30 星野 撮影)


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