「純子の見聞録」元気ネットワーク2000年3月
綾町の有機農業
一度訪れてみたいと思っていた綾町への行政視察が実現しました。
戦後日本の農業は食糧の増産が最優先課題であり、合理化、効率化のために農薬、 化学肥料、機械化、灌漑設備、新品種の導入など農業の近代化が進められました。し かし高度経済成長に伴って生じた公害、環境破壊、土壌汚染等を背景に1960年代 後半になると、それまでの無機農業から、改めて食の安全と環境保全を重視する面か ら有機農業が見直され始めめました。しかし、有機農業の重要性は認められながら も、様々な面で苦労の多い有機農業が未だ定着しない現状の中で、綾町では1970 年代から営々と取り組みを継続出来た要因は何だったのか知りたいと思っていまし た。
福岡空港から宮崎空港へ、さらに各停のバスに揺られ1時間40分、同じ九州でも宮 崎は遠いと実感しながら、宮崎県のほぼ中心に位置する綾町へやっと到着。バスが綾 町へ入った頃から、沿道に植えられた季節の花々の美しさに気付きます。全く荒らさ れる事なく、よく手入れされています。綾町は人口約7500人、近年毎年微増の状 況にあります。面積のおよそ80%を森林で占め、うち約3000haの照葉樹林は日本 一の規模といわれ、九州中央山地国定公園の指定を受けています。
有機農業の契機となった一つの要因は照葉樹林の存在にありました。この天然林は 以前伐採計画があり、当時の町長を初め町の人たちの働きかけで貴重な資源を守り続 ける事が出来たことです。今一つの要因は1973年町民の野菜の摂取量を増やすた めに全町上げて始まった「1坪菜園運動」にあります。この運動の中で土づくりによ る有機農業が実践され、その余剰野菜の処理に青空市が始まりました。有機物の確保 は1978年し尿を液状堆肥化する自給肥料供給施設、1981年家畜糞尿処理施 設、1987年家庭生ゴミを有効活用するコンポスト製造施設等を設置し、地域有機 質資源利用体制の確立が図られています。販路戦略は有機農業確立にあたっての基盤 づくりに欠かせず、一方でその努力が続けられました。1988年画期的ともいえる 全国初の「自然生態系の農業の推進に関する条例」が制定され、有機農業の基準の設 定と基準の審査方法、結果の認証と表示が決められました。その4年後に農林水産省 が「有機農産物等に係わる青果物等特別表示ガイドライン」をスタートさせました が、綾町の実践がほぼ基準とされています。
有機農業開発センターの横尾さんは、説明にあたってまず人づくりの大切さを、そ して住民自治が基本であることを強調された事が印象に残りました。ちなみに沿道の 花は町が苗を一括栽培し希望の自治会が取りに来て、自分たちで植え管理するのだそ うです。だから手折る人もいないのだと納得しました。
これからの地方自治を思うとき、財政力の弱い町においてこのまま特色ある町政が 続けられるだろうかと危惧を抱きながら綾町を辞し、帰り低空で飛ぶ飛行機から見た 九州の開発の凄まじさに改めて唖然としてしまいました。
2000-3-6|HOME|