「純子の見聞録」元気ネットワーク2002年9月


「基地経済とは」

佐世保港に乗組員約5500人という原子力空母「エブラハム・リンカーン」が入港しました。入港による経済波及効果はさほどなかったと報道されていましたが、裏を返せば艦船入港の度に常に期待がそこに存在します。
 冷戦終結後の軍縮の流れの中で、在日米軍特需への期待より最近は自衛隊基地特需への期待が大きくなっています。議会でも再三自衛隊の経済波及効果についての質問が登場します。いかに自衛隊基地が佐世保市経済を潤しているか、さらに基地誘致を積極的に推進すべきではないかといった意見が国防派議員によって披瀝されます。また市民活動への弊害を訴え基地の整理縮小を求めていますが、一方では行政区内の移転あるいは増設による公共工事に伴う経済波及効果も試算され、基地経済への期待がそこにも存在しています。経済システムと国防軍事政策が密接に結びついている世界経済の実態を佐世保市の地域経済を通して、否応なく肌で感じさせられます。

 自明の事として使われている「基地経済」の意味が気になり出しています。改めて基地経済の概念を捉えなおすことから基地経済依存の意味を考える必要があると思うからです。最近、読んだ雑誌に沖縄経済における基地経済の概念をめぐるホットな論争を目にしました。1980年代のやや古い論文なのですが経済学者・来間泰男氏(沖縄国際大学)と以前琉球大学におられた今村元義氏(群馬大学)の復帰後の沖縄経済に視点をおいた往復のやり取りです。また合わせて沖縄復帰50周年を迎えて最近出版された「検証・沖縄問題」で指摘されているこれまでの、あるいはこれからの沖縄振興開発計画の問題点は沖縄自立経済の可能性について、大変興味深い材料を提供してくれています。 

 来間氏は「もはや基地経済ではない。沖縄経済を考えるとき基地問題はその他の経済問題と並立する問題であって中心的問題ではない。基地がなくなればすべてが解決すると考えるのは短絡的である。」と。今村氏は「基地経済は経済過程それ自体ではない。沖縄経済を規定する上部構造の反作用として存在する。すなわち体制的規定であり、経済過程の必然によって規定されるものではない。並立する経済問題ではなく優位的に存在する大枠規定である。」と反論。沖縄の在日米軍の規模の大きさからするとアメリカ帝国主義、軍事戦略による上部構造に由来するとする意見は佐世保市とはやや状況を異にするように思いますが、自衛隊軍事基地経済という点では同様の論議が成り立ちます。さらに基地経済が非生産的資源浪費型経済という点においては両氏の考えは一致しています。また軽重の差はありますが基地収入が産業発展の動因になっている経済であり、体制的規定によって限界性を持った経済であることは共通の認識とされています。

 基地を経営体として擬制し、真の意味の「経済過程」で基地経済を発想しようとしても無理があるように考えます。「基地収入が産業発展の動因になって基地経済は稀薄化されていき、内発的発展へと変化する。」という状況にはなかなかならないで、佐世保市でも依存的体質が存在し続けているように思うからです。また国の防衛政策に規定される基地経済の限界性は基地拡大を政治的に指向します。政治と密接に関連する佐世保市の地域経済は佐世保市を何に拠って立つ街にしたいのか、非生産的資源浪費型の基地経済依存を街の将来ビジョンとするのか、まさに市民のひとりひとりの選択に懸かっているといえます。

橋本純子(佐世保市議)

 

2002-9-5|HOME|