「純子の見聞録」元気ネットワーク2002年10月


「政策実現までの経緯」

去る9月17日、基地対策特別委員会が開催され傍聴しました。
 議題は、「佐世保港のすみ分けに係る平成15年度国の概算要求について」
@ジュリエット・ベイスンにおける新たな岸壁の整備、工事及び実施設計に要する経費として約49億円
A前畑弾薬庫の移転・集約構想、針尾島弾薬集積所の周辺海域に係る調査及び米軍施設のユーティリティに係る調査に要する経費約5400万円
B横瀬貯油所におけるLCAC(エアクッション型揚陸艇)施設の整備、工事用道路の設置等に要する経費として約6億3600万円
 これらがそれぞれ要求されているとの説明がありました。
 委員会中、改めて「そもそも前畑弾薬庫の移転返還の理由は何か」との質問が出されました。いまさらのような質問にやや不可解な思いをしていると、当局の答弁はこれまた不可解なもので、これまで強調されていた前畑弾薬庫の危険性がすっかり抜け落ち、将来の町づくりのための集約になっているのです。いつの時点でそのようになったのかまったくその経緯を知らなかった私としてはなんだか狐につままれたような気分でした。

 そもそも前畑弾薬庫返還の国への要望は昭和46年から続けられていましたがまったく動かず、平成7年に現市長就任後、折りしも平成6年に襲った阪神淡路大震災を契機として、仮に同様の災害に見舞われたときには人家が極端に迫っている前畑弾薬庫は大変危険であるとの理由で、返還要求を強めたという経緯があります。危険という理由が弾薬保管上理論的に説得力のあるものなのか。また住宅建設への土地利用を可能にしたのは当の佐世保市であり、弾薬庫の存在を知りつつ住宅の方が接近したことからすると、これまた説得力に欠けるという疑問を持っていました。しかし、危険という理由に沿って地域住民の陳情・請願など市民、行政、議会が一体になって国への陳情を展開してきました。その理由付けがあっさりと掻き消えてしまったのはなぜなのでしょうか。
 久間防衛庁長官の私案として出された針尾島への移転案に、平成11年から調査費が予算化され、毎年徐々に具体化しています。合わせて針尾島弾薬集積所関係周辺住民の皆さんへの説明会が開催されていますが、今9月定例議会でも地元議員から関連質問が出され、地元の合意形成はスムーズには行ってないことが窺えます。危険な弾薬庫が針尾島では危険ではないとするには説明に矛盾が生じてきていることは容易に想像できることです。

 当時新米議員の私としては政治的駆け引きにおいては理論的理由付けなどあまり問題にされないものなのだろうとも考えていました。
 政治の一端を担うようになって早2期目も終わろうとする今思うことは、政策立案から実現までのそのプロセスをつぶさに見る中で、イデオロギーの混在したポリシー(政策)は容易に破綻することを実感しています。
 イデオロギー論争に終始するよりも現実の利益を重視すべきという考え方があります。仮にそうであったとしてもそのプロセスは説明責任に耐えるものでなければならないことだけは確かです。

橋本純子(佐世保市議)

 

2002-10-6|HOME|