「純子の見聞録」元気ネットワーク2003年2月
「永久に安らかに、私の在宅福祉の先生」
2〜3日前から例年になく、吹雪を伴う寒い日が続いていました。もしやと案じられ たことが現実になり、2日前気丈に生きたある女性がとうとう逝ってしまわれまし た。子供のいなかったその人は夫との楽しい思い出の詰まった小さな我が家でずっと 暮らしたいと強く望んでおられましたが、今年に入ってずっと意識が朦朧としたま ま、最後は残念なことに病院のベッドで亡くなってしまわれました。
下半身不随という身で一人暮らしを続けられていた彼女は、私の在宅福祉の先生と して長い間お付き合いいただいていました。公的介護保険制度がスタートする以前は いざって移動できる状況でしたが、年々体力の衰えとともに寝たきりとなり、それで も施設入所は微塵も考えず明るく、つましく、そしてユニークな創意工夫で一人暮ら しを貫いておられました。また彼女の周りにはいつも多くの地域の人々の善意があり ました。動けない彼女のために1年365日、毎日玄関の施錠をやっていたSさん。必 要な食料品を小まめに届けてくれる近所のストアーのMさん。仕事の合間に安否を気 遣い立ち寄ってくれるTさん。いつも往診してくれるT先生。まだまだ私の知らない多 くの地域の人たちによって、彼女の一人暮らしが支えられていたように思います。私 はどれほど彼女を通して、多くの介護保険制度の問題点が見えてきたことか。そして また、より良い介護保険制度にするための政策上のアイデアを頂いたことか。
しかし、ターミナルにおいて本当に彼女は幸せに逝ったのだろうかと気がかりで す。昨年末病院を訪れたとき、いつにない激しい語気で「家に帰りたい何とかしてく れ」と迫られました。「在宅を支える体制がないと帰せない」と主治医に言われ、そ れをあなたは整えられるのかということを迫られたのです。すでに中心静脈点滴、腎 臓や膀胱にはカテーテルなど様々な管が挿入され、浮腫が全身に及び、寝返りもまっ たく出来ない状況となっていました。よもや二度と帰れない状況になろうとは考えて いなかった、言ってみれば予期せぬドサクサの中で死を迎えなければならない彼女の やり場のない怒りだったように思えます。賢明な彼女のことですから、すでに死期が 迫っていることを悟られていたはずです。気丈な彼女としてはきちんとして死を迎え たかったのはないでしょうか。2度目の入院に当ってご相談を受けたとき「きちんと 身辺整理を」とはまったく気落ちしていた彼女に言えなかったことは良かったことな のか、また彼女にふさわしい別のターミナルの選択肢があったのではないかと少し悔 やまれています。それにはまだまだ在宅福祉も医療制度も貧困であることを指摘せざ るを得ません。
今日、幸いなことに葬儀は帰りたかった我が家で行われたことがせめてものことで した。どうぞKさん永久に安らかに、そしてありがとうございました。
橋本純子(佐世保市議)