「純子の見聞録」元気ネットワーク2003年5月


「市民派選挙をこう戦った」

再三の勧めにも係わらず、3期目の出馬を決意したのは昨年の11月末。まったく白紙 の状況からの再出発にしては余りにも遅い、私の決断でした。それはその後の選挙戦 において大変なご迷惑をお掛けすることになってしまいました。ほとんど選挙知識の ない、しかもわずか10数人の支援者による選挙を覚悟してくれた「純子の応援団」に は計り知れない負担があったことと恐縮しています。

 さらには「12月議会質問、3月議会質問はやり通したいし、またこれまでやり続け た地域活動も中断したくないので後援会活動はその間できない」という私のわがまま も聞いてもらいました。

 勝手連「純子の応援団」は夫や友人を巻き込みつつ、各家庭から必要なものを持ち 寄り、手作りの事務所を立ち上げ、後援会組織を一からつくる作業をコツコツと始め てくれていました。2期8年、地道な議員活動は続けていたつもりでしたが、私の不 徳のいたすところ、何といっても知名度の低い「はしもと純子」をどう知ってもらう かが大きな課題でした。それには市政報告会を精力的にやるしかないと、議会の合間 の縫って、最終的には20数回の報告会を企画。「純子の応援団」は場所の設定や友人 ・知人・親戚と人集めに奔走してくれました。

 年明けて、選挙説明会が開催されました。不案内な者が選挙を法に則り適正にやり 遂げるためには詳細なチェックリストが必要であり、緻密なスケジュール表を作成。 担当者に責任を持ってもらうことになりましたが、少ない人数では一人何役もの担当 はやむを得ず、事務所当番もままならないといった状況でした。専業主婦あり、パー トやフルタイムで働く者ありで、選挙のイメージの違いや認識の温度差の違いから、 あるいは時間の有る者に多くの負担がかかるといった状況で、不安や不満が爆発する こともあり、何度かの解散の危機もあったように思います。それを乗り越えられたエ ネルギーはいったい何だったのでしょうか?

 選挙本番直前の後援会入会者数ははっきり言って当選ラインには程遠いものでし た。しかし、この時点で「純子の応援団」として大なり小なり、係わっていただいた 方は100人ぐらいにはなっていたのではないでしょうか。良くぞここまでやれたも のだと感慨深く、後の本番は楽しく、元気に、最後まで勝利を信じてやり遂げようと いう皆さんの意気込みが伝わっていました。数10回に及ぶミニ街頭演説は閑散とした 住宅街でやることもあったのですが、カーテンの陰でじっと聞いて下さっていたりし て、確実な手ごたえを感じていました。そして投票日まで後3日という頃の盛り上が りはこれまで体験したこともないものになっていました。いろいろな側面で支援を申 し出てくれる人、人、人、・・・。何が何だかわからない、てんやわんやの状況で、 まったく精神的には疲れない昂揚感の中で選挙戦を終わることができました。

 結果は高得票とは行きませんでしたが、貴重な価値ある当選を勝ち取ることが出来 ました。勝因は「純子の応援団」の粘り強い活動と不特定多数の市民の皆さんの参加 によってであり、お金も労力も知恵もみんなで出し合った理想的な選挙を成功させた 意義は大きいと思っています。またこれからも4年間、しっかり市民の声を議会へ届 けていきます。

橋本純子(佐世保市議)

 

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