2005年の米海軍佐世保基地

入港艦船数の動き(年間比較)



04年各月の動き

戦闘艦



補助・補給艦船




2005年の米軍艦船入港数は2004年と比較すると30%近く減少した。
減少の原因となったのは、次のためと思われる。
1、佐世保に配備されている揚陸艦隊が4月までイラク攻撃のためペルシャ湾に派遣されていた。また、潜水艦救難艦が長期間出港していた。
2、空母艦隊や揚陸艦隊とともに行動している戦闘補給(給糧)艦が周辺にいなくなった。
3、中国大陸周辺で作業を行っていた測量(海洋調査)間の入港が半減した。
4、佐世保に4箇所(赤崎、川谷、庵崎、横瀬)ある燃料貯蔵所へ燃料を運び込む、あるいは韓国や日本国内の米軍基地に艦船や航空機用の燃料を輸送するタンカー半減した。

このうち揚陸艦隊は一昨年8月中旬、沖縄を経由してペルシャ湾に派遣されていたものだが、エセックスの艦隊は前方展開した艦隊による遠征打撃部隊(FDNF/ESG)を編成し、他の揚陸艦二隻や駆逐艦,原潜などとともにインド洋からペルシャ湾一帯に出動し、佐世保基地配備以来始めての戦闘行動となった。
イラク占領とその後の戦闘継続のため約8ヵ月間にも及ぶ異例の長期作戦行動となった今回の戦闘行動は、日米安保条約で定める「極東」(従来、大まかには「フィリピン以北」と政府は答弁していたが)の範囲をはるかに超え、また、「戦力の移動に際して行われる」と日本政府が説明してきた「事前協議」もない明らかに条約違反の出撃であった。
エセックスなどの揚陸艦隊が佐世保からいなくなった8ヶ月の間、その配備理由を「日本の防衛のため」「東アジアの安全保障に貢献する」と一般的に理解されていた在日米海軍の戦力は空白状態であった。

一方、弾薬補給艦や貨物輸送艦の入港数は昨年と同様に、この数年増加傾向が続いている。
1997年6月までに弾薬処理部隊が岩国に移動したことを受けて、それまで年間5〜6回程度行われていた弾薬の爆破・燃焼処理作業は事実上中止されていた。その結果、佐世保に入港する弾薬補給艦は97年には8隻、99年には3隻にまで減少していた。
この間、2001年9月11日の米本土テロとその後のアフガニスタン攻撃があったが、佐世保基地から砲弾や爆弾、弾薬などが運び出されることはなかった。しかしその後は一転して増加し、昨年は17隻が入港している。しかし、弾薬庫の機能が突然高度化した、あるいは新たな設備が追加された様子がないところから、入港隻数の増加は取り扱い弾薬量の増加あるいは弾薬設備の重要性が高まったことを意味するものではないだろう。大半が待機あるいは休養のための寄港という様子で最長15日間も停泊したケースがあり、弾薬などの大量荷役作業が確認できたケースはほんの4回程度である。

また、貨物(車両貨物)輸送艦は、昨年も22隻と過去2番目の入港数となったが、佐世保に姿を見せた貨物輸送艦は陸軍事前集積艦、海兵事前集積艦、新型配送システム艦、高速輸送艦の4種類であった。
もっとも頻繁に入港したのは「事前集積艦」と呼ばれる米陸軍用のワトソン級やボブ・ホープ級で、入港が急速に増えた理由として考えられるのは、韓国に配備されていた米陸軍の流動化(再配置)と朝鮮半島での戦争に備えた戦力の再投入のための再編成の結果、ということであろう。
次に入港数が多かったのは「新型配送システム艦」と呼ばれているケープ・ヤコブ級の貨物輸送艦、さらに日ごろはサイパン周辺に停泊している海兵隊の事前集積艦も目立って入港していた。佐世保への入港は少ないが、高速輸送艦「ウエストパック・エクスプレス」も入港していた。
いずれも、米軍の再編、特に韓国からの米陸軍の撤退と密接に関係しているものと思われる。

したがって、昨年の入港数の減少が周辺での活動低下を意味するものではなく、米海軍佐世保基地が再編に合わせて運用方法を変更していると見るべきだろう。

(RIMPEACE編集委員・佐世保)


05年と04年、01年の比較

車両貨物輸送艦(事前集積艦を含む)の在港日数比較



音響測定・測量艦の在港日数比較 



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