今年に入って米原子力潜水艦の入港が頻回になっています。例によって米原潜が接岸する赤崎岸壁の対岸に陣取り、拳を降り上げる抗議集会に参加するために出かけようとしていたら、立ち話をしていたご近所のおじちゃんとおばちゃんに
「何処に行きよっと」
と声をかけられました。
「原潜が今日も来るけん、出て行けコールば、しに行きよっとよ」
と答えると、意気込んで2人して日米防衛協力のガイドライン見直し問題について話始められ、それがやたら詳しいのでこちらが驚いてしまいました。
「これは何とかせんば有事の時は一番先に佐世保は攻撃されるばい。民間の施設や空港までが使われるらしかよ。これでは主権国家じゃなか。SSKの3ドック問題も早くなんとかしてもらわんば会社はやっていけん」
夫さんがSSK(佐世保重工業KK)にお勤めの方で基地とは共存共栄の立場をとる方だっただけにこちらが少し戸惑ってしまいました。
「佐世保市民が一体になって基地反対ば訴えんば、そう簡単にはいかんやろね」
と言うと
「そうさね、佐世保は自衛隊と米軍でもっているようなもんやけんね。表立って基地反対なんてなかなか言われんもんね」
そんな話をこれまでしたことがなかった方たちだっただけに
「ああ、この方たちも出来ることなら何とかしたいと思ってらしたのか」
と分かって、励まされてその日の抗議集会に行きました。
佐世保市の一般会計は約850億円、自衛隊特需約650億円、米軍特需約1万ドル、佐世保市が毎年出している経済指標です。鎮守府以来の防衛の基地としての歴史の永い佐世保は沖縄同様、基地からの脱却はそう簡単にはいかないようです。 ハウステンボスを中心とする観光立市をすすめる佐世保市はアメリカナイズされた町を売り込もうと毎年行政主導でアメリカンフェスティバルを開催し、あろうことか今年は佐世保湾クルージング、基地と軍艦を楽しもうという企画を立てています。せめて市民の目から閉ざされた米軍基地の存在の大きさと怖さに気付いてくれる市民が一人でも増えてくれる事に期待したいと思っています。
今、基地特別委員会において昭和46年以来の基地返還6項目の見直しが議題に上っています。これはニクソン・ドクトリン当時、基地の縮小によって、佐世保市の経済は大きな打撃を受けるとの判断のもと造船産業関連工場を中心とした佐世保港の再開発に関する長期総合計画を立てました。その計画に基づく米軍提供施設及び海上自衛隊施設の整理統合項目になっています。利用目的において時代にそぐわないものもありますから一定の見直しは必要なのかもしれません。しかし、基地の強化が現実にすすんでいる現状からして到底返還の見込みのないものは見直そうという視点での見直しはおかしいような気がしています。委員会においても見直しの視点がはっきりしていない事を指摘しました。その点も含めてこれから論議を深めて行くことになるかと思いますが、その前段として、返還項目に上げれた箇所を中心に基地内視察をやっています。昨日は1日かけて佐世保湾の制限水域を視察しました。折しも赤崎岸壁には史上はじめて原潜が3隻停泊しているという異常事態のさなかでした。
返還項目の1つである前畑弾薬庫の返還は市長の公約でもあり県市一体となり返還運動に取り組んでいこうとしていますが、国は移転先は地元で調整すべきだといい、市長は地元は困る、国防に関わる事は国が調整すべきであるとしています。何処だって危険な弾薬庫は拒否したいに決まっています。一度背負込んだ自治体はこれから未来永劫背負込む運命とでもいうのでしょうか。グァムの米軍基地閉鎖に伴い、赤崎岸壁のユーティリティが整備され、原子力潜水艦の基地として強化され、常態化しています。赤崎岸壁にも人家は迫っていて、米国の原子力委員会の規則にも明かに違反しています。前畑弾薬庫より危険な状態とも言えます。またこれまで米原潜の出航に際しても事前の通告が慣行になっていましたが、7月2日に出港したポーツマスは無通告だったため放射能測定が間に合いませんでした。こんなことは初めてで、あってはならないと重大な事であると受け止めています。我がもの顔の佐世保湾の使用をこれ以上許せるものではありません。
今回の視察後の感想は、新たな整備が完了しつつある赤崎貯油所、SSKの使用制限が強化されている立神岸壁、広大な制限水域等々、返還項目である基地の機能はさらに重要性を増している現実を改めて見せつけられるものでした。これからどのような視点で返還要求を見直していくのか重要な課題と言えます。
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