「もっと低く飛ぶこともある」事故機のパイロットは語る



98年5月4日付けの星条旗新聞の1面トップに、ロサンゼルス・タイムズ紙の記事が転載されている。イタリアの低空飛行事故を起こしたパイロット達が、軍事裁判の開始を前に何を考え、何を主張しているかを報じたものだ。その中で、事故機のパイロットは、ケーブルを切断した時の飛行高度(364〜370フィート、約110メートル)よりも低く飛ぶこともあった、と語っている。
 500フィートという米軍の最低高度規制も、現場では確信犯として無視されていることを示すものだ。低空飛行による事故は、ルールを厳重にすれば防げるというものではない。全面的な禁止でしか、ゴンドラ墜落事故の再現を防ぐことは出来ないのではないか。


(同記事の抄訳)
(前略) ゴンドラ墜落の事故の余波の中で、アシュビー(パイロット)とその他3人の乗組員はノースカロライナのアウターバンクスに戻された。近くの海兵隊基地(チェリーポイントとキャンプ・レジューン)で簡単な仕事に従事しながら、アシュビーは過失致死や危険行為の疑いで起訴される軍事裁判に対する準備をしている。
 事故の調査報告によれば、アシュビーの操縦する機体は、370フィートの高さのところでケーブルを1本切断した。もう1本切断したのは364フィートの高さだった。この対地高度は、彼のジェット機に対する最低高度制限よりはるかに低いものだった。
 しかし「EA6Bの訓練ではこの高度よりさらに低く飛ぶこともよくあった。特に、付近に人口の多い地域があることが、飛行用の地図に描かれていない場合には」とアシュビーは話している。
 「電子戦機は、爆撃機の支援をするための機体だ。地面をなめるようにして飛ぶほど、支援の効果は大きい」「正しい高度だと我々が信じた高度で飛んだし、意識的に500フィート以下に降りたことはない、と我々は申告した」と彼は語った。
 彼が言うのには、スキー場について何か話をされたことはなかった。彼は飛行用地図のコピーを保管している。それには、スイスに近い地域のスキー用の軌道は明示されているが、イタリア・ドロミテ山地のリゾート地については、何も記載がない。
 「みんな、私のことをカウボーイと表現しようとしている。だが、そいつはつまらぬ宣伝だ。みんな、私のことをランボーと呼びはじめている。我々はワイヤーの下を潜ろうとした、と言っている。さらに、我々はビールを賭けていた、とさえ言っている」とアシュビーは言っている。
 「しかし、私にとって飛ぶということは技術だ。ちょっと右に寄ったり左に行ったり、というようなものではない。もし訓練をしなければ、技術を失うし、うまく飛べないだろう」
(中略)後席にいた2人の電子妨害操作担当士官のヒアリングは5月5日に行われる。これは、一般の裁判での予審と同じようなもので、罪名が過失致死か危険行為を決めることになる。アシュビーと副操縦士(パイロットではない。ナビゲーター、電子妨害などを担当する−−訳注)については同様の審査が6月15日に行われる。

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