横浜備蓄のLCU、戦時の動きをシミュレート(9)

LCUが運んだリールはノースドックに一時保管



佐世保からの積み荷を降ろしたLCUは、浦賀水道出口まで往復した

6月21日に大きなリール2つを積んで横浜ノースドックに戻ってきたLCUコントレラスは、週明けの23日朝、積み荷を降ろした。クレーンで吊り上げるのではなく、揚陸艇らしく「すべり」 に前方のドアを倒して、トレーラーに載ったリールが曳きだされた模様だ。
降ろされたリールは、集積場に並んで置かれている。ノースドックの外に運ばれるものが、並ぶことが多い場所だ。

輸送艦としての任務を終えたコントレラスは、その後「すべり」を離れて浦賀水道に向かい、東京湾の出口まで行き、戻ってきた。これでコントレラスが再び備蓄モードになるのか、それとも 現役のままでさまざまな輸送任務を果たし続けるのかは、まだわからない。しかし、第10地域支援群が陸軍舟艇の東アジア−太平洋での任務に投入を始めた以上、ノースドックにいる10隻の LCUなどがおもに輸送艦として太平洋軍のために働きだしたとみなければならない。
備蓄資材の動きを点検するために、年に一度くらい演習に参加していたことは、これまでもあった。昨年のフォールイーグル演習への参加もそうだ。しかし、備蓄装備を現役に復帰させて、様々 な輸送任務に就ける、となると話は全く異なってくる。
ノースドックが輸送部隊の基地となり、四六時中西太平洋の輸送任務を担うことになる。

ほんの12年前、2002年夏にノースドックへの陸軍舟艇の搬入が始まった。地元の自治体などがノースドックの機能強化になるのでは、と危惧を抱いたが、「在日米大使 館側は外務省に対し『ノースドックの役割を高めるものではない』と伝えているという」(2002.8.27 神奈川新聞)
また「横浜市渉外部によると、米軍側は今回の措置にあたり外務省を通じて @艦船は燃料を抜いて保管する A運航はしない−と説明しているという」(2002.8.28 神奈川新聞)

繰り返す。たった12年前の説明が、下級司令部の判断で正反対に変えられようとしている。横浜ノースドックの基地機能が大きく転換する、まさにその瀬戸際にある。

(RIMPEACE編集部) (2014.6.23 撮影)


LCUが運んできた大型リールはノースドックの集積場の片隅に


2014-6-24|HOME |