ノースドックに舞い戻ったミサイル追跡艦


12月10日に舞い戻り、Hバースに停泊するミサイル追跡艦ハワード・O・ロレンゼン(17.12.17 星野 撮影)

12月4日に横浜ノースドックに接岸し、翌5日に給油を受けていたミサイル追跡艦ハワード・O・ロレンゼンは、12月9日に出港し、浦賀水道を抜けて太平洋へと出ていった。
ところがハワード・O・ロレンゼンは、翌12月10日の夕方には再び横浜ベイブリッジをくぐり、横浜ノースドックに戻ってきた。9日から10日にかけての航海は、一種の試験航海 だったのだろうか。

12月10日、ハワード・O・ロレンゼンが入港する直前のノースドックHバースには、側面に「YOKOSUKAMWR」と大きく書かれたバスが待機していた。「YOKOSUKA MWR」のMWRとは、 MORAL, WELFARE AND RECREATIONのことで、つまり、横須賀基地の福利厚生関連施設のことだ。このバスは、横浜までロレンゼンの乗組員の「お迎え」に来ていたのだろうか。

また、ロレンゼン入港直前のHバース周辺では、市内の港湾荷役会社の名前がドアの側面に書かれた軽トラックなどが止まり、その社員とおぼしき人びとが接岸の準備作業をしていた。 米軍基地である横浜ノースドックの業務は、日本の民間企業の労働者によって支えられているということだろう。

 その後、ハワード・O・ロレンゼンは、10日ほど横浜ノースドックに停泊し続けた。少し早めのクリスマス休暇を兼ねた入港だったのだろうか。

 12月18日になって、ロレンゼンに日本の民間会社の油タンカー「第十二栄造丸」が横付けし、給油を行った。そして、翌12月19日の午後、ハワード・O・ロレンゼンは横浜を 出港していった。

 出港後、伊豆下田沖を南西方向に向かっていたことは判明している。ロレンゼンは再びミサイル監視業務に戻ったということなのだろうか。

(RIMPEACE編集部 星野 潔)


2017-12-27|HOME|