せいかい丸に積み込まれる155ミリりゅう弾砲(2019.7.22 星野 撮影)

6隻の民間小型貨物船、横浜から那覇へ海兵隊りゅう弾砲や車両など運ぶ


7月22日午前、ノースドックで海兵隊の車両などの積み込み作業をする藤隆丸(左)と第八晶恵丸(右)(7.22読者撮影)


155ミリりゅう弾砲を積み込むせいかい丸(7.22 頼 撮影)

 7月22日、日本の民間小型内航貨物船が6隻、次々と横浜ノースドックに接岸し、米海兵隊の155ミリりゅう弾砲、車両、コンテナなどを積み込むと短時間で出港し、那覇軍港に向かった。

 22日の朝、まず横浜ノースドックに接岸し、海兵隊の車両を積み込んでいるのが確認されたのは、第八晶恵丸と藤隆丸だ。第八晶恵丸が出港した後には、第十晶恵丸とせいかい丸が接岸した。とりわけせいかい丸には、海兵隊の車両だけではなく155ミリりゅう弾砲が少なくとも6門は積み込まれたことが確認された。

 藤隆丸とせいかい丸が出港した後、今度は第三晶恵丸が入港し、すでにノースドックに接岸していた第十晶恵丸とともに車両などの積み込みを行った。

さらに、第十晶恵丸、第三晶恵丸の順で出港した後、小型貨物船「ニュー双葉」がHバースに接岸し、残されていた海兵隊の車両などを積み込んだ。「ニュー双葉」がノースドックを離岸したのは、22日の16時半頃だった。

 これらの貨物船が積み込んだ海兵隊の車両やコンテナは、遅くとも7月13日にはノースドックのBバースやCバースの近く、米軍の付けた番号で500番の建物の、みなとみらい地区側から見て裏手付近に並べられていたものだ。7月18日頃には車両が増えたのか、列が長くなっていたことも確認されている。車両だけではなく小型コンテナも並べられていたのだが、これらの海兵隊の物資の周辺に小銃で武装した米兵が立っている時もあった。おそらく警備が必要なものがあったのだろう。

 関連は不明だが、小型コンテナの中には、米国の危険物分類でクラス9やクラス3の危険物表示プラカードが掲げられているものもあった。

これらの車両は、自動車運搬船グリーン・ベイが入港してHバースに数時間滞在した7月19日の翌日である7月20日には、グリーン・ベイが去った後のHバース付近に移動して、並べられていた。おそらく、155ミリりゅう弾砲も、人目に付かないように建物の影に並べられていたのだろう。

 では、そもそもこれらの155ミリりゅう弾砲や海兵隊の車両などは、どこから来たのだろうか。ヒントは、155ミリりゅう弾砲だ。

 今年4月11日の朝、琉球海運が運航する民間自動車運搬船「にらいかないU」が、横浜ノースドックに入港し、12門の155ミリりゅう弾砲や海兵隊の車両などを大量に陸揚げした。4月17日から28日まで、北富士演習場で行われた米海兵隊の「沖縄県道104号線越え実弾射撃演習」の「分散・実施」で使用するという名目での陸揚げだった。実際、横浜への陸揚げ直後にこれらのりゅう弾砲や車両などは外部に運び出されており、北富士演習場での実弾射撃演習で使われたはずだ。

 しかし、問題は「沖縄県道104号線越え実弾射撃演習」の「分散・実施」終了後のことだ。5月4日に日本海運所属の民間自動車運搬船「ひまわり7」が横浜ノースドックに入港し、米海兵隊の車両を積み込んでいる様子が見られたので、この「ひまわり7」が155ミリりゅう弾砲も含めて、すべての「沖縄県道104号線越え実弾射撃演習の分散・実施」に参加した武器や車両を回収したものと見ていたが、実はそうではなかったようだ。

 今回横浜から貨物船に積み込まれた少なくとも6門の155ミリりゅう弾砲、そして、車両の数を考えると、4月に来た海兵隊の砲兵部隊の少なくとも半分は、4月から7月まで、北富士に残っていたということだろう。海兵隊砲兵部隊がこの期間、北富士に滞在することについて、地元自治体や県などに通告はあったのだろうか。

 また、そもそも6隻もの小型貨物船に武器(りゅう弾砲)や車両、物資を分乗させて、横浜から那覇という長い距離を運ぶ今回のやり方は、きわめて異例のやり方だ。何か隠されているものがあるような感じが残る、今回の動きだ。

(RIMPEACE編集部 星野 潔)


ノースドックを出港した第十晶恵丸。奥に見える「425」番の船は、この日横浜港に入港した海上自衛隊の大型補給艦「ましゅう」


車両の積み込みを行う貨物船「ニュー双葉」(7.22 星野 撮影)


7月20日以降、Hバースに並べられた海兵隊の車両の中には、小型バギーの姿もあった(2019.7.21星野撮影)


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