わずか1週間で横浜NDに舞い戻った音響測定艦エイブル


9月19日、東京湾内を遅い速度で横浜に向かうエイブル(19.9.19 頼 撮影)


9月19日、横浜ノースドックに接岸した音響測定艦エイブル(19.9.19 星野 撮影)

 7月16日から長期にわたって横浜ノースドックに居座り続けた音響測定艦エイブルが9月13日、出港した。しかし、9月19日に、わずか1週間で横浜NDに戻ってきた。

 エイブルは9月13日の出港後、相模湾の入り口付近の海域をきわめてゆっくりとした速度で行ったり来たりを繰り返したり、房総半島沖をウロウロしたりしていた。9月19日に浦賀水道に入ってきた後も、かなり遅い速度で横浜に向かって進んだ。

 少し気になるのは、エイブルがきわめてゆっくりとした速度で何度か往復を繰り返した相模湾入り口付近の海域が、2017年8月24日の日米合同委員会で「潜水艦訓練のため」と称して「7個の機器」の設置が承認された場所とかなり重なっていることだ。

そもそも、静岡県伊東市川奈崎と神奈川県三浦市城ヶ島を結ぶ線よりも北西の相模湾全域は、1952年7月26日以降、「相模湾潜水艦行動区域」という名の訓練区域として米海軍に提供されている海域だ。とは言え、この相模湾における米海軍潜水艦の訓練行動の実態は、よく分かっていない。

1994年に神奈川県基地対策課が編集した『神奈川の米軍基地』には、1984年4月26日に神奈川県が「外務省へ同区域での訓練内容について照会した。外務省からは、「横須賀に寄港する米原潜が、その寄港に際し、相模湾潜水艦行動区域を通過することはあるが、横須賀寄港と関連のないような演習等の行動は行っていない、ということについては米側から、その旨の説明を受けている。」との回答があった」(神奈川県渉外部基地対策課『神奈川の米軍基地』1994年、168-169頁)という記述があるから、おそらくこの時期には長らく潜水艦の訓練は行われていなかったのだろう。遊休化していたのだ。

しかし、その後も遊休化が続いているかどうかは分からない。2017年8月24日の日米合同委員会合意で、「7個の機器」の設置を承認したということは、相模湾潜水艦行動区域が実際に使用される、あるいはされている可能性があるということだろうし、使用するという米軍の意思表示でもあるのだろう。

音響測定艦エイブルの今回の動きが何らかの「訓練」だったのか、相模湾潜水艦行動区域に設置されたという「7個の機器」と何か関係があったのかということは、今のところまったく不明だ。今回のエイブルの航海は、単なる試験航海だったのかもしれない。

だが、1952年以降70年近くもの間、相模湾が潜水艦の訓練海域という名目で米軍に提供され続けていて、その使用実態さえ日本社会に明らかにされていないということ自体、異常なことだ。ちなみに米軍の潜水艦は、現在すべて原子力潜水艦である。

(RIMPEACE編集部 星野 潔)


9月20日、停泊するエイブルとタンカーSLNCパックスの横を、横浜・川ア沖での試験航行から
帰ってきたLCU(米陸軍大型揚陸艇)ポート・ハドソンが通り過ぎていく。(19.9.20星野撮影)


2017年8月24日の日米合同委員会合意に添付された図。相模湾潜水艦行動区域に設置する7個の機器の位置を示している。


2019-9-23|HOME|