横浜ノースドック・年間まとめ−1

備蓄された米陸軍舟艇、この一年の動き


左から燃料輸送バージ、中型揚陸艇9隻、港内タグ4隻。右はSLWT(横積み平タグ)5隻


コンテナのようなものは、浮き桟橋セット。ばらしてつなぐと、浮き桟橋になる


大型揚陸艇LCUが10隻、並んでいる。手前のバースには音響測定艦が停泊中(06年1月25日 撮影)

横浜ノースドックに保管されている米陸軍の上陸用舟艇は、2002年8月から搬入が始まったものだ。2004年10月には陸軍資材軍の部隊が舟艇などの検査を行い、11月からそれぞれの舟艇などに保守作業員がとりつき始めた。
大型揚陸艇(LCU)や中型揚陸艇(LCM)、タグなどが保管場所から動かされた。04年8月から05年2月にかけて3隻のLCUがノースドックの外に運び出され、それぞれ4ヶ月後にノースドックの保管場所に戻ってきた。05年6月からLCMやタグがノースドック前の水面で検査のための試運転を始めた。ノースドック付近の水域が試運転に使われるのは初めてのことだ。

2005年10月から11月にかけてLCM3隻とタグ2隻が近くの民間工場に移動し、それぞれ2ヶ月後に戻ってきた。06年2月1日現在、クレーンバージが戻ってきていない。これらの舟艇のノースドックの外での修理は横浜工作所と追浜の住友造船が行っている。

以上は3年の修理点検サイクルの中での動きだが、実はこれらの陸軍備蓄の「外部環境」が大きく変わった。米軍のトランスフォーメーションが目指す方向では、日本の基地に展開する米陸軍の部隊や備蓄物資が、日米安保の極東条項が定める領域を超えて展開されることになるからだ。

旅団レベルの部隊を基本戦闘単位(UA)とすること、どこにでも展開が可能なことが陸軍トランスフォーメーションのキーだ。
「陸軍予備軍は、陸軍上陸用舟艇の事前備蓄をペルシャ湾と日本で行うことを計画している。湾岸戦争時に同様の装備を運びこむのに要した日数を、30日〜60日短縮することを目指している」(The Army Reserve's "Navy", 12/1/00, Reserve Officers Association of the US)
もともとこのような目的でノースドックに運びこまれた装備だ。トランスフォーメーションの行きつく先は、極東条項を無視しての装備の展開を目指すことになる。

最後に、いささか旧聞に属するが、れっきとした日本政府の答弁をもう一度確認しておきたい。
1988年2月4日の衆院予算委員会で、公明党の大久保書記長が「米軍の座間基地に韓国軍に支給可能な資材が備蓄されている」として、政府の見解を求めた。これに対する政府答弁は「今の姿は日米安全保障条約第6条の目的の範囲内で許される」(外務省北米局長)、「安保条約で、米軍が日本と極東の安全に寄与するため、日本の施設、区域を使うことが盛られており、その目的に反せざる限り違反ではない」(宇野宗佑外相)(88.2.5 読売新聞)

(RIMPEACE編集部)


'2006-2-5|HOME|