横浜港、本牧ふ頭から米軍車両搬出される


7月3日、本牧ふ頭D突堤にフラットラックコンテナに入れられた状態で並ぶ、砂漠迷彩の米軍タンク
ローリーやJLTVと見られる車両。暗緑色の小型コンテナも形から見て米軍の軍用コンテナだろう。


ガントリークレーンの陰になってこちらから見えづらいところにも、米軍車両が並んでいるらしいことが分かる(2021.7.3星野撮影)


7月6日、本牧ふ頭D突堤に接岸中のパナマ船籍のコンテナ船SPIL CITRAに、軍用タンクローリーを入れたフラットラックコンテナが載っているのが確認できる。
(7.6 星野 撮影)

 7月3日、横浜港の民間コンテナ埠頭である本牧ふ頭D突堤の4号バースに、米軍の軍用車両などが並んでいるのが確認された。

 並んでいたのは、砂漠迷彩のタンクローリーやJLTV(統合軽戦術車両)と見られる車両、さらには暗緑色の小型コンテナなどだ。これらはいずれもフラットラックコンテナ(開放型のコンテナ)に入れられてふ頭の海側に置かれていた。

 相模補給廠監視団に確認したところ、これらの車両は相模補給廠では見かけないタイプだということだった。だとすれば、キャンプ富士の海兵隊の車両が、本牧ふ頭D突堤まで運ばれてきたということだろうか。

 その後、7月5日の夜から6日の夕方にかけてこのバースに接岸したパナマ船籍のコンテナ船SPIL CITRAに、軍用タンクローリーを入れたフラットラックコンテナが積み込まれているのが確認された。

SPIL CITRAの出港後は、それまで本牧ふ頭D突堤に並んでいた車両などは姿を消していたので、おそらくこのコンテナ船が搬出したのだろう。

SPIL CITRAは、横浜出港後、名古屋港と神戸港に寄港し、それからシンガポールに向かった。この船が積んだ米軍車両や軍用コンテナの搬送先が何処なのかは不明だ。

 民間ふ頭である本牧ふ頭D突堤の4号バースは、今年の1月までAPL社のターミナルだった。2月からはCMA CGM社に移管されている。APL社のターミナルだった時から、米軍コンテナの搬出入が行われていた。

今回、少なくない数の軍用車両ですら米軍はコンテナ化して民間コンテナ船で輸送させることがあること、そして、横浜港のこの民間コンテナふ頭が軍事輸送の拠点として使われていることが、改めて確認されたということだ。

 横浜市は、横浜港の中心部に存在する米軍基地である横浜ノースドックの全面返還実現を市是としているはずだ。ところが現実には、全面返還の実現どころか民間ふ頭にまで軍事利用が拡大している。民間の船舶修繕工場でも、米軍の大型艦船の改修工事が当たり前のように行われている。

 横浜市は、2018年に「横浜市国際平和の推進に関する条例」を制定した。条例は、「国際平和に貢献する取組を推進することにより、市民の平和で安心な生活と国際平和に寄与する」ことを前文に掲げている。また、この条例にも書かれているように、国連から「ピースメッセンジャー都市」の称号を授与されている。

 しかし、足下の横浜港内での軍事活動の拡大を黙認し続けたままであるならば、その「国際平和に貢献する取り組み」も、「ピースメッセンジャー都市」の活動も説得力の乏しいものになるだろう。まさか、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』に出てくるスローガン、「戦争は平和である」を真顔で叫ぶつもりではないだろうが。

(RIMPEACE編集部 星野 潔)


米軍は以前からフラットラックコンテナを使用している。写真は2011年、相模総合補給廠に米国本土からフォースプロバイダー
一式が運ばれてきた時、相模補給廠監視団が撮影したもの。投光器を載せたフラットラックコンテナが複数台、相模補給廠に搬入された。
(2011.10.11相模補給廠監視団撮影)


2021-7-15|HOME|