機動揚陸艇(LCM)、横浜NDからすべて搬出される(2)


3月18日まで、埠頭上に1隻だけ残されていたLCM(24.3.18 星野 撮影)


3月19日、クレーンバージを使って、LCMを揚陸艇ブロードラン(LCU2007)に載せる作業が行われた(24.3.19 読者 撮影)


LCU2007もLCMも、どちらも「US ARMY」の文字が既に消されている(24.3.19 読者 撮影)


LCMを載せた後、横浜ノースドックの、「みなとみらい地区」から見た「裏側」の、LCUの溜まり場に移動するLCU2007(24.3.19 読者 撮影)


LCU2007に乗船していた要員は、米兵ではなく軍属でもないようだ(24.3.19 読者 撮影)


LCMを載せてLCUの「溜まり場」に接岸したLCU2007。
この時にはまだ、艦橋上部側面に、「BROAD RUN」という艦名が書かれた板が取り付けられていた(24.3.19 星野 撮影)


3月28日、LCU2007の艦名が書かれた板が取り外された(24.3.28 星野 撮影)


3月29日、艦名の代わりにLCU2007と書かれた板が取り付けられた。艦橋上部に書かれていた「07」の数字も消された。
この後、4月1日にLCU2007は横浜を一旦出港して、4月3日に戻ってきた(24.3.29 星野 撮影)

2月29日に4隻の機動揚陸艇(LCM)が貨物船ローズマリー1に積み込まれて横浜ノースドックから搬出された後にも依然として残されていた「最後の1隻」のLCMは、最終的には4月10日に横浜を出港してバヌアツ共和国に向かった。

横浜ノースドックに残された最後のLCMとなっていた「LCM-8593」は、3月18日まで陸上に置かれていたが、3月19日に大型クレーンバージによってつり上げられ、ラニーミード級揚陸艇(LCU)のブロードラン(BROAD RUN LCU 2007)に積み込まれた。

LCM-8593の船体からは、既に米陸軍所属を示すUS ARMYの文字が消されていたが、LCUブロードランの船体からも、この時点で既にUS ARMYの文字は消されていた。
LCMを積み込んだLCU2007(ブロードラン)は、4月1日まで横浜ノースドックに停泊していたが、その間、3月26日には横浜港内で操船訓練を行い、3月28日には「BROAD RUN」の艦名が書かれた艦橋上の表示が撤去された。

そして、4月1日に横浜を出港したのだが、航海途中でトラブルがあったのか、あるいはこの時の出港は外洋での訓練航海だったのか、4月3日に再び横浜に戻ってきた。

その後LCU2007は、4月10日の朝、横浜ノースドックを再び出港し、現地時間の4月26日にバヌアツ共和国のポートビラに到着したようだ。

老朽化した上陸用舟艇であるLCMは、2021年に米陸軍が公表した新しい揚陸艇中隊の構想には含まれていない。横浜ノースドックの第5輸送中隊も、この構想に沿った編成にするために、揚陸艇の入れ替えを行っているということだろう。
決して、揚陸艇そのものを撤去していくということではない。

LCU2007は、2010年代後半にレドームを艦橋後部に新設し、情報通信関連装備の「現代化」工事を行った揚陸艇ではあるが、米軍は横浜ノースドックの揚陸艇中隊には不要であると判断したのだろう。
不要となった船艇を廃棄せずにポートビラまで運んだのは、無償か有償かは不明だがバヌアツ共和国に譲渡することで、同国との関係強化にも役立てようという意図があってのことだろう。

LCMやLCU2007が搬出された一方で、5月5日には米本土から新たに別のLCUが横浜ノースドックに搬入されたのだが、それについては今後、別の記事で紹介したい。
とはいえ、横浜ノースドックに新編された米陸軍揚陸艇部隊はノースドックに配置済みの船舶を使用するという防衛省の説明は、全くのデタラメだったことが5月5日の揚陸艇搬入によって早くも露呈したようだ、ということだけはとりあえず指摘しておきたい。

(RIMPEACE編集部 星野 潔)


4月1日に横浜を出港した後、4月3日に一旦、横浜ノースドックに戻ってきていたLCU2007(18.4.8 星野 撮影)


艦の後部を見ると、「LCU2007」のほかに「PORT VILA」も書かれていた。
バヌアツ共和国の首都で港町の名前だ(24.4.8 星野 撮影)


ポートビラなどの言葉が書き込まれたのは、以前は「BROAD RUN」という艦名が書かれていた場所だ(24.3.21 星野 撮影)


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