沖縄県道104号線越え砲撃訓練、横浜を経由し北富士で実施
5月9日、海兵隊の155ミリ榴弾砲をはじめ軍用車両など多数の装備を積んで横浜ノースドックに入港した琉球海運の自動車運搬船「にらいかないU」
この日は陸揚げ作業は行われなかった(24.5.9 星野 撮影)
5月10日午前、「にらいかないU」から陸揚げされた海兵隊の軍用車両などが横浜ノースドックに並べられた(24.5.10 星野 撮影)
陸揚げされた軍用車両の一部(24.5.10 星野 撮影)
民間トレーラーに載せられて搬出される軍用トラック(24.5.10 星野 撮影)
民間トラックに載せられたハンビー(24.5.10 星野 撮影)
ハンビーを積んだトラックの脇を並んで歩いているのは、陸上自衛隊員たちだ。
この日、米海兵隊の作業とは別に、陸自ホークミサイル部隊も横浜ノースドックに集結していた(24.5.10 星野 撮影)
軍用小型コンテナも民間トレーラーで搬出された(24.5.10 星野 撮影)
民間トレーラーやトラックによるさまざまな車両の搬出が続く(24.5.10 星野 撮影)
155ミリ榴弾砲を積んだ民間トレーラー。砲身にはシートが被せられている(24.5.10 星野 撮影)
5門の155ミリ榴弾砲のうち、まずは3門が並んでノースドックのゲートを出て行った(24.5.10 星野 撮影)
次いで、残りの2門の155ミリ榴弾砲が並んで出て行った(24.5.10 星野 撮影)
トレーラーに載せられて村雨橋を渡る155ミリ榴弾砲(24.5.10 星野 撮影)
搬出作業が続く中、3台のバスが横浜ノースドックにやって来た(24.5.10 星野 撮影)
バスには多数の海兵隊員が乗っていた。陸揚げされた車両を運転して演習場に運ぶために、キャンプ富士からやって来たようだ(24.5.10 星野 撮影)
打ち合わせが終わると、各自それぞれ車両の運転席に乗り込んでいった。荷台に危険物プラカード(赤丸をつけたところ)が付けられたコンテナが載せられたトラックもある。
危険物入りのコンテナを載せたトラックも、海兵隊員が横浜から富士山麓まで運転していったということになる(24.5.10 星野 撮影)
4月26日、那覇軍港から横浜ノースドックにやって来た高速輸送艦グアム(24.4.26 星野 撮影)
グアムの後方に、陸揚げされた車両や機械などが置かれているのが見える(24.4.26 星野 撮影)
グアムは4月27日の朝、出港したが、陸揚げされた装備はその直後にも横浜ノースドックに並べて置かれていた(24.4.27 星野 撮影)
今年5月10日、琉球海運の自動車運搬船「にらいかないU」が、5門の155ミリ榴弾砲を始めとする海兵隊の装備や車両などを横浜ノースドックに陸揚げした。
それらは「沖縄県道104号線越え155ミリ榴弾砲実弾射撃訓練の分散・実施」のための装備であり、陸揚げ直後に富士山麓へと搬出された。
この演習は、1997年までは沖縄のキャンプ・ハンセンで、まさに県道104号線を越えて、通行を止め沖縄県民を危険に曝して実施されていた砲撃(実弾射撃)訓練であり、1997年度からは北富士演習場や東富士演習場、北海道の矢臼別演習場、宮城県の王城寺原演習場、大分県の日出生台演習場で行われている。
今回は、防衛省の連絡によれば、北富士演習場において5月15日から24日までの日程で行われ、中隊規模の約300名、車両約80両、大砲5門が参加したという。
また、防衛省によれば、今回の訓練部隊のキャンプ富士到着は5月上旬ということだったが、「にらいかないU」が横浜ノースドックに大砲や車両その他の物資を陸揚げしたのは、既に述べたように5月10日のことだった。
今回、「にらいかないU」は5月7日に那覇軍港を出港し、5月9日の昼過ぎに横浜ノースドックに入港した。しかし、入港当日には荷揚げ作業は行われず、大砲やさまざまな装備の陸揚げが行われたのは翌5月10日の朝だった。
ただし、「にらいかないU」の横浜入港よりも約2週間前の4月26日にも、高速輸送艦グアム(GUAM T-HST 1)が那覇軍港からやって来て横浜ノースドックに入港し、海兵隊のものと見られる車両やコンテナなどを多数陸揚げしている。
この時グアムが横浜に陸揚げしたものが、5月の155ミリ榴弾砲実弾射撃演習のためのものだったのかどうかは、不明だが。
ところで、5月10日の「にらいかないU」の陸揚げ作業に話を戻すと、5門の155ミリ榴弾砲や車両の一部やその他の資材などは、民間運送業者のトレーラーやトラックによって搬出されていった。
しかし、陸揚げされた軍用車両のうち少なからぬ数のものについては、キャンプ富士からやって来たと見られる海兵隊員たちが乗り込み、自ら運転して富士山麓へと向かったようだ。
交通の激しい市街地を含む海兵隊員たちにとっては慣れていない道を、重くて大きい軍用車両を連ねて長距離運転して演習地へと向かうのは、とても危険なことのはずだが。
海兵隊員が運転して横浜ノースドックから富士山麓に向かうこと自体が訓練の一部になっているということなのであれば、横浜からキャンプ富士あるいは北富士までの道路そのものが、演習場にされてしまっているということだ。
なお、防衛省の連絡によれば、訓練終了後6月上旬に訓練部隊がキャンプ富士を出発するということだったが、琉球海運の自動車運搬船「かりゆし」が横浜ノースドックに接岸して訓練に使用したと見られる装備を船積みしたのは、5月30日だった。
「かりゆし」は5月30日に横浜を出港し、那覇軍港に6月1日に入港した。
(RIMPEACE編集部 星野 潔)
5月30日、155ミリ榴弾砲実弾射撃演習に使用した装備を那覇軍港に運ぶために横浜ノースドックに入港した琉球海運の自動車運搬船「かりゆし」(24.5.30 星野 撮影)
フォークリフトが軍用コンテナを「かりゆし」に積み込んでいる(24.5.30 星野 撮影)
自走で「かりゆし」のランプを上る軍用トラック(24.5.30 星野 撮影)
「小物」を「かりゆし」の船内に運ぶフォークリフト。地元の藤木企業のフォークリフトだ(24.5.30 星野 撮影)
横浜市基地対策課HPに掲載された、今回の実弾射撃演習に関する防衛省の「お知らせ」
2024-7-10|HOME|