高速輸送艦グアム、横浜から那覇に海兵隊員を運ぶ


8月23日、横浜ノースドックに寄港した高速輸送艦グアム(24.8.23 星野 撮影)


タグボートに引っ張られて離岸するグアム(24.8.23 星野 撮影)


出港のために方向転換するグアム(24.8.23 星野 撮影)


横浜ノースドックを出ていくグアム。グアムの向こうに停泊しているのは、ケーブル敷設艦グローバル・センティネル(24.8.23 星野 撮影)


よく見ると、グアムの後部の2階部分に人影が多数みえる(24.8.23 星野 撮影)


グアムの後部の2階部分に鈴なりになっているのは、迷彩服の海兵隊員たちだ。横浜の港の風景を眺めているようだ(24.8.23 星野 撮影)


グアムの少し前に横浜ノースドックを出港した米軍御用達のタンカー、ポハン・パイオニアを本牧ふ頭の横で追い抜いて行った(24.8.23 星野 撮影)

8月23日の朝、高速輸送艦グアム(GUAM T-HST 1)が横浜ノースドックに入港した。
8月21日の夕方に那覇軍港を出港して、約1日半での横浜到着だった。

8月23日の寄港の前には、グアムは8月18日の朝から19日の夕方にかけて横浜に滞在している。
この時は、グアムは8月16日の18時台に那覇軍港を出港し、8月21日の朝に那覇軍港に戻っている。

その前には、グアムは7月30日の午前に出港して7月31日の夜に横浜に到着し、8月1日の日没時に出港して那覇軍港に向かっている。

さらにその前には、7月22日から28日まで横浜ノースドックに滞在している。
この時には、7月28日の朝に横浜を発って30日の未明に那覇軍港に到着し、同じ30日の朝には再び横浜に向かって出港している。
この間、グアムは横浜の他にも、韓国のポハンにも頻繁に出かけている。
7月の半ばには岩国基地にも顔を出している。
かなり活発な活動だ。

さて、今回の8月23日のグアムの横浜寄港も、滞在時間は10時間に満たず、同じ23日の夕方には出港していくタイトなスケジュールだった。
そして8月25日の朝に那覇軍港に到着した。

今回、この高速輸送艦が横浜に何かを運び込んだのかどうかは分からない。
しかし、8月21日の夕方の出港時には、大勢の迷彩服姿の海兵隊員たちがグアムの後方から鈴なりになって顔を出し、だんだん小さくなっていく横浜の港の風景を眺めている様子が確認された。
ということは、今回のグアムの横浜寄港は多数の海兵隊員、おそらく数百人規模の海兵隊部隊を横浜ノースドックで乗船させて、那覇軍港に運ぶことが主な目的だったのではないか。

この海兵隊員たちは、おそらく、富士山麓の海兵隊基地であるキャンプ富士からバスで横浜ノースドックに運ばれてきたのだろう。

今回に限らず、横浜ノースドックはしばしば、数百人規模の海兵隊部隊が移動する際の中継拠点としても使われているのだ。

ところで、気になったことが一つある。
今回の8月23日のグアム寄港の前日、8月22日の夕方には、グアムが接岸するバースの脇に小型コンテナが2個置かれているのが確認できた。
おそらくはグアムに積み込むために運ばれてきたのだろう。実際、グアムの出港後にはこれらのコンテナは姿を消していた。
この2つの小型コンテナはどちらも、扉の面を「みなとみらい地区」の側からは見えづらい方向に向けて置かれていた。
扉には伝票などが張られていたのだが、気になったのは、片方のコンテナの扉には伝票だけではなく、危険物プラカード(Hazardous Material Warning Placard)と見られる赤いプラカードが貼られていたことだ。
赤いプラカードなので、クラス2かクラス3の危険物が入っていたということだったのではないか。

そして、危険物プラカードが貼られている扉の面をわざわざ「みなとみらい地区」からは見えづらい方向に向けて置いたのは、「危険物」コンテナを持ち込んでおきながら、危険物プラカードが貼られていることは市民には知られたくなかったからではないだろうか。

(RIMPEACE編集部 星野 潔)


グアムの入港前日、8月22日の夕方の、グアムの接岸が予想されるバース周辺の様子。右側に小型コンテナが2つ置かれていて、
片方の扉に赤い危険物プラカードと見られるものが付けられているのが分かる。(24.8.22 星野 撮影)


小型コンテナが置かれていたのは、この場所だ。「みなとみらい地区」からは赤い危険物プラカードは見えづらいように置かれている(24.8.22 星野 撮影)


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