横浜NDの陸軍第5輸送中隊、ホワイトビーチで海兵隊と共同訓練


2024年12月6日、沖縄に向けて横浜ノースドックを出港する2時間ほど前の陸軍揚陸艇パロ・アルト(LCU 2032)(手前)(24.12.6 星野 撮影)


甲板上や艦橋上に人影が見える(24.12.6 星野 撮影)


陸軍第5輸送中隊の兵士たちだろう(24.12.6 星野 撮影)


揚陸艇パロ・アルトは、沖縄に向けて出発する前日の12月5日に航行訓練を行っていた(24.12.5 星野 撮影)


12月12日、訓練の前に海兵隊員と話をするパロ・アルトの艦長の陸軍准尉。しかしなぜか、フーディドスウェットシャツ(パーカー)にも帽子にも
揚陸艇キングスマウンテン(LCU 2025)のロゴが入っている。
米軍画像サイトDVIDS記事「Army and Marine Corps Team Up for Training in Okinawa [Image 1 of 3]」より引用
https://www.dvidshub.net/image/8806479/army-and-marine-corps-team-up-training-okinawa


12月12日、訓練の準備で並べられた海兵隊の強化型戦闘強襲偵察用舟艇(ゴムボート)
米軍画像サイトDVIDS記事「Army and Marine Corps Team Up for Training in Okinawa [Image 2 of 3]」より引用
https://www.dvidshub.net/image/8806481/army-and-marine-corps-team-up-training-okinawa


12月17日のパロ・アルト。この日の早朝、横浜ノースドックに戻ってきた(24.12.17 星野 撮影)

昨年12月6日、ラニーミード級揚陸艇パロ・アルト(PALO ALTO LCU 2032)が横浜ノースドックを出港した。パロ・アルトが向かったのは沖縄のホワイトビーチだ。
米インド太平洋軍HPの2024年12月18日付け記事「Army and Marine Corps Team Up for Training in Okinawa」によれば、パロ・アルトに乗っていたのは、陸軍第10支援群傘下の第765大隊の第5輸送中隊の兵士たちだ。
第5輸送中隊とは、横浜ノースドックに編成され2024年から運用が開始された揚陸艇部隊だ。

パロ・アルトは12月11日にホワイトビーチに到着し、第5輸送中隊は翌日、海兵隊の第31海兵遠征部隊第2/4大隊上陸班とともに戦闘訓練を行った。

前掲の米インド太平洋軍HPの記事によれば陸軍第5輸送中隊と海兵隊は、ホワイトビーチの桟橋からの強化型戦闘強襲偵察用舟艇(enhanced combat rubber reconnaissance craft:E-CRRC)の発進と回収の訓練と、中城湾近くでの夜間襲撃訓練を行った。
陸軍第10支援群フェイスブックの12月17日付けの投稿によれば、海兵隊のE-CRRC訓練は12月10日には開始されていたようだが、E-CRRCは海兵隊にとって新配備の装備であり、インド太平洋地域でのE-CRRC訓練は今回が初めてだったようだ。
つまり、新配備の海兵隊の戦闘用ゴムボートの訓練を、海兵隊の上陸部隊と横浜ノースドックの陸軍揚陸艇部隊が合同で行ったということだ。

前出の米インド太平洋軍HPの記事によると今回の訓練は、海兵隊と陸軍の共同の水陸両用作戦(Amphibious operations)における相互運用性を高め、実際の戦闘状況に備えるためのもの。
横浜の陸軍揚陸艇中隊、すなわち第5輸送中隊が海兵隊とこのような訓練を行うのは12月12日が初めてだったが、今後も継続的に海兵隊と訓練を行うことが予定されているとのこと。

横浜ノースドックの陸軍第5輸送中隊が海兵隊の上陸部隊と共同訓練を行うのは、この陸軍揚陸艇部隊が、米軍の対中国戦争構想である機動展開前進基地作戦(EABO: Expeditionary Advanced Base Operations)において戦闘を行う海兵隊部隊を琉球弧やフィリピンの島々に輸送する任務を与えられているからだろう。

米国本土を戦場にすることなく、台湾や琉球弧を始めとする日本列島などを戦場にして中国と戦争をしようという米軍の戦争構想において、米軍幹部が「同盟国」の市民や戦闘員を犠牲にするだけでなく、わざわざ実際に米軍を最前線に投入して米兵の血も流すことを本気で考えているかどうかは別として、米軍が組織として上述のような戦争構想を作っている以上は、この構想に沿った部隊や装備の配置と訓練は進めていくのだろう。そして、それによって軍事的緊張はさらに高められていくことになるだろう。
そのプロセス自体が、軍の組織や軍産複合体には大きな「利益」をもたらすものなのだろうが。

なお、揚陸艇パロ・アルトは12月12日の訓練の後、12月17日の早朝に横浜ノースドックに戻ってきた。

しかし、今年1月24日にも再び横浜を出港し、1月26日に瀬戸内海の広弾薬庫に立ち寄った後、2月1日にホワイトビーチに入港している。
さらにその後、もう一度、瀬戸内海と沖縄を往復した後、2月15日の早朝に横浜ノースドックに戻ってきた。

(RIMPEACE編集部 星野 潔)


1月24日、出港当日の揚陸艇パロ・アルト。この日、夜になってから出港した(25.1.24 星野 撮影)


2月15日のパロ・アルト。この日の早朝に横浜ノースドックに戻ってきた(25.2.15 星野 撮影)


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