対イラン軍事作戦の拠点ディエゴガルシアへの補給基地にされた横浜ND(2)


5月28日、横浜ノースドックでディエゴガルシア島への補給物資が入っているとみられるコンテナを積み込んだ貨物船パシフィック・インテグリティ。
翌日、出港した(26.5.28 星野 撮影)

5月に横浜ノースドックからインド洋の米軍の最重要拠点であるディエゴガルシア島に向かったもう1隻の民間貨物船は、リベリア船籍のパシフィック・インテグリティ(PACIFIC INTEGRITY)だ。

パシフィック・インテグリティは、5月29日に横浜を出港してディエゴガルシアに6月16日に到着した。
この船が横浜ノースドックからディエゴガルシア島に向けて出発するまでの動きを、以下にまとめておこう。

パシフィック・インテグリティは4月18日から5月1日にかけて韓国のブサンに寄港した後、5月5日に横浜ノースドックに入港した。
この時、この船の甲板上には、19個のリーファーコンテナ(冷凍・冷蔵コンテナ)が積まれているのが見えたが、コンテナは、甲板上だけではなく船倉にも多数積まれていたようで、その中にはリーファーコンテナだけではなく、いわゆる普通のコンテナであるドライコンテナも多数入っていたようだ。
これらのコンテナは、おそらくブサンで積み込んだものだろう。

しかし、この5月5日の時点では、コンテナを降ろす作業を行うのに適したHバースには、同月9日にディエゴガルシア島に向かって横浜を出港することになるパナマ船籍の民間貨物船レディ・ヴィヴィアナ(LADY VIVIANA)がまだ接岸していて、荷役作業を行っていた。
おそらくそのために、パシフィック・インテグリティはとりあえずの接岸場所として、コンテナを降ろす作業のスペースが確保できないFバースに接岸した。

レディ・ヴィヴィアナが5月9日に横浜ノースドックを発った後、パシフィック・インテグリティは、翌10日の日曜日にHバースに移動して、11日の月曜日にようやく、ブサンから運んできたとみられるコンテナ(リーファーコンテナとドライコンテナ)をふ頭上に降ろした。
降ろされた多数のコンテナはいったん、ノースドック中央部の、浮き桟橋の素材(FLOATING CAUSEWAY)が大量に備蓄されている場所の奥の、普段は神奈川県警交通機動隊の白バイやパトカーの運転練習場になっているスペースに並べられた。

また、5月12日には、ノースドックの奥にある別の野積み場にも30個のドライコンテナが並べられた。
こちらの野積み場の片隅には普段から第545ハーバーマスター分遣隊の車両などが並べられているが、それに加えて30個のコンテナを並べても余裕のある広さのスペースだ。
ここに並べられたコンテナもおそらく、パシフィック・インテグリティから降ろされたものなのだろう。

普段は神奈川県警交通機動隊の白バイ練習場になっている場所に並べられていたコンテナのうちリーファーコンテナは、5月14日以降、ノースドックの揚陸艇の係留場所側にある「すべり」近くの広場に移された。周囲には可搬型発電機が複数置かれていた。コンテナの冷却装置を作動させていたのだろう。
また、白バイ練習場に並べられていたドライコンテナのほうは、Hバースに近い「507」の番号のついた倉庫の裏に並べられたようだ。

こうしてパシフィック・インテグリティから降ろされて横浜ノースドックの中で3カ所に分けて置かれたコンテナには、その後外部から運び込まれた物資が詰め込まれていったようだ。

他方、多数のコンテナをノースドックに降ろした貨物船パシフィック・インテグリティは、5月12日の午後にいったん横浜を出港して韓国のブサンに向かった。
同船は、ブサンに5月15日に入港し、翌16日に同港を出港した。
そして、5月19日に横浜ノースドックに戻って来た。
横浜に戻ってきたパシフィック・インテグリティの甲板上には、多数のドライコンテナが並べられていた。これらのコンテナも翌日にはふ頭上に陸揚げされた。

こうして2度に渡ってパシフィック・インテグリティが韓国のブサンから横浜ノースドックに運び込んだコンテナには、外部から搬入された物資が詰め込まれたようだ。

横浜で補給物資を入れたそれらのコンテナは、5月27日以降、パシフィック・インテグリティに再び積み込まれた。積み込み作業は5月28日には終わった。

そして5月29日の朝、パシフィック・インテグリティは、ディエゴガルシア島に向けて横浜を出港した。
AIS(自動船舶識別装置)にもとづく情報によれば、ディエゴガルシア島に到着したのは6月16日だった。

多数のリーファーコンテナが使われていたこと、そもそもパシフィック・インテグリティが米国船籍ではなくリベリア船籍の貨物船であることなどを考えると、今回この船が横浜からディエゴガルシア島に運んだのは、主に生鮮食料品や飲料品など米軍の分類ではクラス1にあたる物資であった可能性が高い。
限られた時間に限られた場所から監視した限りでは、ミサイル等の兵器の積み込みは確認できなかった。

だが、ディエゴガルシア島は米軍によるイラン軍事攻撃の拠点として使用されたとみられる基地の島だ。
貨物船パシフィック・インテグリティの前に貨物船レディ・ヴィヴィアナが横浜ノースドックからディエゴガルシア島にクラス1物資を運んだ補給活動については、米軍自身がその画像サイトDVIDSの記事で「軍事作戦を支援するため」と認めている。
つまり、「現代戦において輸送等の補給活動もまた戦闘行為の重要な要素である」のだ(2008年4月17日名古屋高裁「自衛隊イラク派兵差止訴訟」判決より)。
仮に殺傷兵器そのものの積み込みがなかったとしても、極東を遙かに超えたインド洋における軍事活動を支援するための物資を日本の基地から輸送することは、日米安保条約に明確に違反することだ。

米軍は日米安保条約さえも踏みにじり、横浜ノースドックを中東での違法な軍事活動の拠点として、そして、かれらの世界戦略を支える補給拠点として使用しているのだ。

(RIMPEACE編集部 星野 潔)


5月5日、多数のコンテナを積んで横浜ノースドックに入港した貨物船パシフィック・インテグリティ(26.5.5 星野 撮影)


5月5日には、ふ頭の先端部のHバースでは、先にディエゴガルシア島に向かうことになる貨物船レディ・ヴィヴィアナが荷役作業を行っていた(26.5.5 星野 撮影)


パシフィック・インテグリティは、5月9日にレディ・ヴィヴィアナが出港するまでFバースで待機していた(26.5.8 星野 撮影)


レディ・ヴィヴィアナの出港後、Hバースに移動したパシフィック・インテグリティ(26.5.10 星野 撮影)


積んでいたコンテナを5月11日に全て降ろしたパシフィック・インテグリティ。その後、5月12日にブサンに向けて出港した(26.5.11 星野 撮影)


パシフィック・インテグリティから降ろされたリーファーコンテナは、一旦、赤い四角で囲んだところに運び込まれた(26.5.11 星野 撮影)


5月12日には、リーファーコンテナだけでなくドライコンテナも並べられていた(26.5.12 星野 撮影)


また5月12日には、この野積み場にもドライコンテナが並べられていた。これらもパシフィック・インテグリティに積み込まれることになる(26.5.12 星野 撮影)


リーファーコンテナはその後、こちらの場所に順次移された(26.5.14 星野 撮影)


こちらの野積み場では、トラックで運び込んだ物資をドライコンテナに詰め込む作業が行われていた(26.5.14 星野 撮影)


リーファーコンテナの隣に並べられていた方のドライコンテナは、こちらの倉庫の後ろに移されて並べられた(26.5.15 星野 撮影)


ずらりと並べられたリーファーコンテナ。青い可搬型発電機も設置された。コンテナの中に詰めた物資を冷蔵するためだろう。
リーファーコンテナには、ディエゴガルシアに運ぶ生鮮食料品などを詰め込んだのではないか(26.5.15 星野 撮影)


並べられたリーファーコンテナの扉部分をアップで撮影した写真(26.5.16 星野 撮影)


5月19日、再びブサンからコンテナを運んできたパシフィック・インテグリティ(26.5.19 星野 撮影)


運んできたコンテナの陸揚げは5月20日には完了した。降ろされたコンテナは倉庫の建物の向こう側に並べられている(26.5.20 星野 撮影)


リーファーコンテナへの物資の詰め込みが行われている。この時点ではまだ、パシフィック・インテグリティへのコンテナ積み込みは始まっていなかった(26.5.26 星野 撮影)


パシフィック・インテグリティへのコンテナの積み込み作業(26.5.28 星野 撮影)


パシフィック・インテグリティはノースドックに運び込んだコンテナの積み込みを5月28日に終えて、翌朝、ディエゴガルシアに向けて出港した(26.5.28 星野 撮影)


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