富士山麓での砲撃演習の榴弾砲など、横浜NDに陸揚げ(2)ノースドックからの搬出


トレーラーに積まれた高機動ロケット砲ハイマースが、9月10日18時50分過ぎ、誘導車に先導されて村雨橋を渡り、富士山麓へと向かう。
村雨橋を通過したハイマースの1門目だ(26.9.10 星野 撮影)

9月10日に自動車運搬船「神明丸」から横浜ノースドックに陸揚げされた、「沖縄県道104号線越え155ミリ榴弾砲実弾射撃訓練の分散・実施」と称する実弾砲撃演習のための兵器や車両などの装備は、同日の夜から民間運送会社のトレーラーやトラックでキャンプ富士へと搬出されていった。

筆者が把握した限りでは、まず18時50分過ぎ、緑色回転灯をつけた誘導車に先導されて、2台のトレーラーが相次いで村雨橋を渡って神奈川2丁目の交差点を左折していった。
村雨橋は、横浜ノースドックのゲートを出て、東神奈川駅方面に直進して第一京浜にぶつかる直前にある市道の橋だ。小さな橋だが、1972年に当時の飛鳥田横浜市長が、車両制限令に基づく市長権限を根拠に、多くの人たちとともに相模補給廠からベトナムに向けて搬出される米軍戦車を止めた、「戦車闘争」の舞台となった橋だ。

18時50分過ぎに相次いで村雨橋を渡った2台のトレーラーにはそれぞれ1門ずつ、高機動ロケット砲ハイマースが積まれていた。つまり、この日、少なくとも2門の高機動ロケット砲が横浜ノースドックに陸揚げされてキャンプ富士へと運ばれたということだ。

高機動ロケット砲ハイマースを積んだトレーラーは、神奈川2丁目の交差点を左折したが、首都高速横羽線には上がらずに、下の第一京浜を進んでいった。おそらく国道16号を使って横浜町田ICまで行くルートを使ったのだろう。

ハイマースを載せたトレーラーが村雨橋を通過して数分後、今度はハンヴィーを積んだ大型トラックが2台、緑色回転灯をつけた誘導車に先導されて神奈川2丁目の交差点を左折していった。

さらにその数分後、19時過ぎに、やはり緑色回転灯をつけた誘導車に先導されて、それぞれ荷台にシートで覆った155ミリ榴弾砲を積んだトレーラーが3台、村雨橋を渡って神奈川2丁目の交差点を左折し、第一京浜を進んでいった。

その後は、3台程度のトラックやトレーラーのグループに分かれて、それぞれのグループは誘導車に先導されつつ、19時40分少し前くらいまでの間に、155ミリ榴弾砲を積んだトレーラーが断続的に次々に村雨橋を通過していった。

数えたところ、19時40分までに村雨橋を通過した155ミリ榴弾砲は12門だった。その後、さらに別の榴弾砲が村雨橋を通過していったかどうかについては分からない。
しかし、防衛省の7月31日の発表では、横浜ノースドックに陸揚げされる「砲数」は12門だったので、米軍が持ち込んだ高機動ロケット砲ハイマースを「砲」として数えていないならば、19時40分頃までに村雨橋を通過した155ミリ榴弾砲の12門という数字は、防衛省発表の数字に一応は符合する。
ただし、高機動ロケット砲を「砲」として数えないのはあり得ないことだ。「沖縄県道104号線越え155ミリ榴弾砲実弾射撃訓練の分散・実施」の趣旨を完全に逸脱していることを自覚しているからこそ、隠しておきたいのだろう。市民や自治体を著しく愚弄している。それだけでなく、実力組織の情報隠蔽や暴走は極めて危険なことである。防衛省の担当者がそれを自覚していなくても。

なお、155ミリ榴弾砲が12門通過した19時40分頃までの間には、やはり先導車に誘導された日本通運の大型ウィングトラックが7台ほど、村雨橋を渡って神奈川2丁目の交差点に進入した。
これらの大型ウィングトラックも、神明丸が横浜ノースドックに陸揚げした海兵隊の資材を積んでいたものと考えられるが、他のトレーラーやトラックとは異なり、東神奈川2丁目の交差点を右折して、東京の方向へと進んでいった。
別ルートから富士山麓に向かったのか、それとも別の場所に海兵隊の軍事物資を運んだのかは不明だ。

神明丸が横浜ノースドックに陸揚げした軍用車両などは、9月10日のうちに全てが搬出されたわけでは無く、翌日以降も搬出作業は続いていた。

最終的に全てが運び出されたとみられるのは、9月12日のことだった。

(RIMPEACE編集部 星野 潔)


1門目の高機動ロケット砲ハイマース(26.9.10 星野 撮影)


1門目のハイマースの車両のナンバープレート(26.9.10 星野 撮影)


1門目のハイマースのすぐ後に、2門目のハイマースが通過した(26.9.10 星野 撮影)


2門目のハイマースも、誘導車に先導されて神奈川2丁目を左折した(26.9.10 星野 撮影)


2門目のハイマースを積んだトレーラー。横羽線に入らずに、第一京浜をそのまま進んでいった(26.9.10 星野 撮影)


ハンヴィーを積んだ大型トラックが通過する(26.9.10 星野 撮影)


ハンヴィーを積んだ大型トラックが2台、神奈川2丁目の交差点を左折していった(26.9.10 星野 撮影)


155ミリ榴弾砲を積んだ大型トラックがやって来た。1門目だ。この大型トラックも、誘導車に先導されていた(26.9.10 星野 撮影)


荷台に積まれた155ミリ榴弾砲は、全体がシートで覆われている(26.9.10 星野 撮影)


神奈川2丁目の交差点を左折する1門目の155ミリ榴弾砲(26.9.10 星野 撮影)


トレーラーに積まれて通過する、2門目の155ミリ榴弾砲(26.9.10 星野 撮影)


2門目の155ミリ榴弾砲も、神奈川2丁目を左折した(26.9.10 星野 撮影)


3門目の155ミリ榴弾砲(26.9.10 星野 撮影)


4門目の155ミリ榴弾砲(26.9.10 星野 撮影)


信号待ちをする、4門目の155ミリ榴弾砲(26.9.10 星野 撮影)


5門目の155ミリ榴弾砲(26.9.10 星野 撮影)


6門目の155ミリ榴弾砲(26.9.10 星野 撮影)


6門目の155ミリ榴弾砲も、神奈川2丁目を左折後、横羽線に入らずに第一京浜を進んでいった(26.9.10 星野 撮影)


誘導車に先導されてやって来た7門目の155ミリ榴弾砲(26.9.10 星野 撮影)


7門目の155ミリ榴弾砲(26.9.10 星野 撮影)


やはり第一京浜を進んでいく(26.9.10 星野 撮影)


8門目の155ミリ榴弾砲(26.9.10 星野 撮影)


9門目の155ミリ榴弾砲(26.9.10 星野 撮影)


誘導車に先導されて日本通運の大型ウィングトラックがやってきた。これらも、ノースドックに陸揚げされた資材を搬出するトラックだ(26.9.10 星野 撮影)


日通の大型ウィングトラックは、神奈川2丁目を右折していった(26.9.10 星野 撮影)


続々と来る日通トラック(26.9.10 星野 撮影)


日通大型トラックは、皆右折していく(26.9.10 星野 撮影)


誘導車に先導されて10門目の155ミリ榴弾砲を積んだトラックがやって来た。すぐ後ろには11門目の榴弾砲積載トラックも(26.9.10 星野 撮影)


10門目の155ミリ榴弾砲(26.9.10 星野 撮影)


11門目の155ミリ榴弾砲(26.9.10 星野 撮影)


12門目の155ミリ榴弾砲が神奈川2丁目を左折する。この時、19時39分頃(26.9.10 星野 撮影)


12門目の155ミリ榴弾砲を積んだトラックも、横羽線に入らずに第一京浜を進んでいった(26.9.10 星野 撮影)


神明丸による陸揚げの翌日の9月11日になっても、搬出できていない車両や資材も多くあった(26.9.11 星野 撮影)


これも9月11日。陸揚げされた海兵隊の車両が残っている(26.9.11 星野 撮影)


こちらも9月11日。給水トレーラーのようだ(26.9.11 星野 撮影)


陸揚げされた海兵隊車両の富士山麓への搬出作業は、9月12日まで続いた(26.9.12 読者 撮影)


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