カッシング、ペルシャ湾から横須賀に戻る


横須賀基地に停泊する米艦群。手前より、カウペンス(CG63)、カッシング(DD985)、
カーティスウィルバー(DDG54)、右奥にチャンセラーズビル(CG62)(04.8.27 撮影)

駆逐艦カッシングが横須賀基地に戻ってきた。8月27日午後、マスターピア・イーストに入港しているのが確認された。4月2日に出港して以来、ほぼ5ヶ月ぶりの帰港だ。

この5ヶ月の間、カッシングは何をしていたのだろうか。横須賀基地内紙Seahawkは、7月2日号で次のようにカッシングの任務を語っている。

「カッシングはペルシャ湾の北部で、海上パトロールと臨検の作戦に従事するとともに、バスラ沖の2つの石油基地を防衛する任務も帯びている。連合軍は、立ち入り禁止海域を石油基地の周りに設け、許可のない商船や漁船の立ち入りを禁止している」
「カッシングの乗組員は、第5艦隊の責任エリアで「イラクの自由」作戦に従事する重要性を認識している」

カッシングは、横須賀からの往復の日数と、途中の寄港地で過ごした日数をのぞき、3、4ヶ月をペルシャ湾の最奥部で過ごした。第7艦隊は太平洋軍のメジャーな緊急対応部隊に指定されているが、カッシングは太平洋軍の守備範囲をも超えて、中央軍の責任海域で作戦に従事していた。横須賀常駐艦のこんな動きは、これまでにも何回もあった。

キティーホーク戦闘群がイラク攻撃に加わった。空母が西太平洋に戻ってからも、横須賀からはカッシングのように、長期にわたって中東に船が派遣されている。それは「極東の安全と平和」という安保条約の建前を大きく超えた動きだ。

在日米軍のさらなる強化を目指す提案が、この間、米国からなされている。そんなときだからこそ、横須賀基地は、在日米軍基地は、なぜ米軍に提供されているのか、その根拠と条件を厳密に見つめなおす必要がある。

(RIMPEACE編集部)


'2004-8-29|HOME|