大震災・原発事故発生から40日間

空母GWの行動目標は? その1

大震災が発生する直前の3月11日正午、横須賀基地には6隻の米軍艦船が停泊中だった。その中で、12号バースの原子力空母 ジョージ・ワシントン(GW)と、8号バースの駆逐艦ラッセンの2隻は、艦橋の周囲に足場が組まれ、一目で工事中とわかる姿だった。

翌12日から18日にかけて、巡洋艦・駆逐艦各2隻が出港し、被災者救援のトモダチ作戦に従事するために北に向かった。
横須賀基地で修理中だったGWとラッセンは、いったん修理を切り上げて21日に出港した。

ちょうど1ヶ月後の4月20日に横須賀に戻ってくるまで、GWの動きはきわめてイレギュラーなものだった。
定期修理中の原子力空母が、在日米国市民の退避(Non Combatant Evacuation,NCE)に対応しようとした イレギュラーな動きを追う。


大震災直前の3月9日、定期修理中のジョージ・ワシントンの艦橋付近

横須賀での定期修理を中断したGW

米海軍の空母は、任務航海のあと定期修理に入り、修理終了後に訓練などの準備期間を経て任務展開可能なレベルにアップする。 ただし、横須賀に前方展開中の空母(GW)は、どんな場合でも30日以内に任務展開可能な状態にある、とみなされている。(ランド研 究所、前方展開空母の増加とメンテナンスサイクルの変更、2008年)

もちろんGWも毎年1月から4月に定期修理を行う。定期修理中に、30日以内の任務展開を可能にするためには、修理を中断して空母を出 港可能にすることが第一ステップとして必要になる。
3月21日のGWの緊急出港は、まさにこの第一ステップをクリアしたものだった。
「GWがたった10日間で、港での修理の状態から航海できる状態になったのは前代未聞の成果だ」(GW艦長ラウスマン大佐、11.3.24  第7艦隊のニュースより)

工事を中断して出港したことで、港につなぎとめられているレベルから、作戦行動が可能なレベルに一歩近づいたのは間違いない。同時 に、放射能汚染の可能性がある横須賀基地につなぎとめられている危険性の除去というねらいもあったと見られる。

それでは、急に出港したGWの仕上がり状態はどうだったのだろうか。
GWは出港2週間後の4月5日に佐世保に寄港する。寄港の目的は作業員の交代や修理部品の補給だった。
佐世保に着いたときに、GWの郵便担当部署は、横須賀出港後にGWあてに出された2週間分の郵便物1万ポンドを受け取った。

航海中の空母の乗組員にあてた郵便物は、通常陸上基地から空母連絡機C2で運ばれる。2週間も郵便物が配達されなかったことは、 C2が着艦するときの拘束装置や離艦するための射出装置が使えない状態だったことを示す。
横須賀出港後のGWは、ヘリの着艦は出来ても固定翼機の離着艦はできない状態での航海を続けていた。ただ海上を動くだけ、という 状態でも出港したのは、それでもできる任務の準備をするという理由があったのだ。

福島第一原発の事故による放射能汚染が進行した場合、関東地方に住む数万人規模の米国市民の本国への避難計画を立てるのには、広い 収容スペースをもつ空母が動ける状態にあることが必要だった。


3月21日、横須賀基地を出港し浦賀水道を南下する空母ジョージ・ワシントン
(非核市民宣言運動ヨコスカ 撮影)

(RIMPEACE編集部)


2011-5-23|HOME|