空母GWの行動目標は? その2
4月12日、大震災後2度目の佐世保寄港を行ったジョージ・ワシントン
3月19日に来日し、米4軍の救難作戦を指揮した米太平洋軍司令官ウィラード大将は、その2日前の3月17日、国防総省で記者たちに
ブリーフィングを行った。ハワイの太平洋軍司令部から電話での質疑応答だった。
原発事故と、米軍兵士の家族や在日米国市民たちの日本からの避難に、米国メディアの記者たちの関心は寄せられていた。
「米政府の負担による米軍兵士の家族の自発的な退避はいつ始まるか」「避難する家族の数は何人くらいと考えているか」「日本人と在日
米国市民にとっての最悪のシナリオは何か、またその最悪のシナリオへの対処策は何か」「厚木、横須賀のほかに放射能を探知した基地は
あるか」
記者たちの質問に対して、米太平洋軍司令官は次のように答えている。
「今朝、自発的な退避に関する命令を国防総省から受けた。ミッションは始まったところだ。国務省は昨夜から、退避のための成田からの
飛行を民間機を使って開始した」
「自主的に避難する家族の人数は知らない。われわれの避難計画は、広大な首都圏に住む米国市民全員の要求を満たすためのものだ。その
数は軍人を含めて約87.300人というオーダーだ。だからそれだけの数の人たちのニーズを満たすプランをわれわれは作った」
「最悪のシナリオは、炉心を原子炉の中に閉じ込めておく努力を放棄するような事態だ。ただし、そんなことは起こらないと確信している。
原子炉を冷やし、水がなくならないように、あらゆることをしなければならない」
「最悪のシナリオへの対処について言えば、われわれの兵士の全てを支援の先頭に立てるよう配置している。われわれは米国市民を適切に
防護するプランを持っている」
「横須賀と厚木で検知された低レベルの放射能について、ということなら、もう一箇所横田基地でも検知器が警告を発した。ただ非常に
低いレベルだった。それでも放射能は検知された」
3月17日の時点で、米軍人の家族に対する自主的な退避が、米国政府の費用負担で始まった。関東地方の主要な米軍基地で微量ではある
が放射能が検知された。そして炉心溶融による最悪のシナリオに対して、9万人近い米国人を逃がすプランが作られた。
米太平洋軍司令官のメディア・ブリーフィングの中で、それが進行中のものとして語られている。
5月15日付朝日新聞、原発事故対処の「日米協力」についての記事にも同様のことが書かれている。
「事故発生直後、米政府は(中略)『最悪のシナリオを』を作成していた。(中略)在日米国人の強制退避が、その結論だった。
実際、米海軍幹部は防衛省幹部に『8万人の米軍人らの退避計画を作らないといけない』と伝えていた」
8万のオーダーの人間を国外に退避させるのは、簡単な話しではない。時間との競争を強いられるような状況で、航空機だけではとうてい
間に合わない。
ベトナム戦争の末期、サイゴンからの緊急脱出に使われたのは、沖合いの空母とサイゴンの間を往復するヘリだった。退避者の受け皿とし
ては、広大な甲板や収納スペースを持つ空母や揚陸艦が適している。
ヘリの離発着しか出来ない修理中の空母は、艦載機を積んでいないだけ、かえって大量の人員を受け入れる余地がある。GWは避難の最大
の受け皿としてプランに組み込まれていただろう。
3月21日、横須賀を最後に出た2隻の米艦船がGWと駆逐艦ラッセンだった。ともに修理を中断して出港、その後佐世保に寄港したが、
2隻の動きは対照的だった。
ラッセンは横須賀出港の4日後には佐世保に寄港して、すぐに修理を始めた。
一方GWは洋上で修理を続け、4月に入ってから2回、佐世保に短い寄港をしただけで、4月20日に横須賀に戻ってくるまで洋上で過ご
している。
放射能汚染の心配があって横須賀を離れたのなら、仮に沖合い停泊でも佐世保で修理をするほうが落ち着くはずなのに、あえて洋上に出て
いたのは、GWを修理中というステータスから航行可能というステータスに引き上げたままにしておく必要があったからだ。
いつでも米国市民の退避のプラットホームになれる状態を維持すること、これが定期修理を中断して、固定翼機の発着も出来ない空母の
任務だった。
大規模な放射能汚染が起きる恐れが少なくなったと米国政府が判断するまで、8万人退避計画を実行可能なプランとして担保するために、
修理途中のGWは航行可能というステータスに置かれ続けた。
4月15日、米国政府は福島第一原発から50マイル以遠のエリアの危険性は低いとして、3月16日に出した、米国政府雇用者の家族の
自発的退避のステータスを打ち切り、日本に戻ることを認めた。
首都圏の米国人が大量に退避する事態に備える必要がなくなった空母GWは、4月20日に横須賀に戻り、定期修理を再開した。
4月20日、横須賀基地に戻って来た空母ジョージ・ワシントン
(RIMPEACE編集部)
2011-5-23|HOME|