4週間横須賀に居座った原潜、やっと出港

昨年12月23日に横須賀に寄港して以来ずっと13号バースに居座っていた原潜シティー・オブ・コーパス・クリスティ(SSN 705)が、1月19日午前に出港した。
入港28日目の出港だ。

原子力艦船の横須賀寄港日数を横須賀市のホームページから拾ってみると、この28日という日数は1966年の原潜スヌークの寄港以来、横須賀を母港とする原子力空母ジョージ・ワシントン を除く最大日数となっている。
ちなみにこれまでは1991年8月に入港したパーミット級原潜ハドックの27日が母港艦船を除く最大値だった。
パーミット級はスタージョン級の前の攻撃型原潜で、ロス級と比べると2代前ということになる。横須賀市の記録を紐解くと、比較的長い寄港日数の原潜はスタージョン級やそれ以前のクラスの 原潜に多いことがわかる。
最新型とはいわないが、現在の米海軍攻撃型原潜部隊の主力ともいえるロス級原潜がこれほど長期間寄港した理由はなんだったのだろうか?

原潜の寄港時には、その目的が通知される。「補給、維持、休養」がその大半を占める。維持、つまりメンテナンスだが通常の原潜の寄港日数から飛び離れた日数を要するメンテが必用だったのだ ろうか?
最初にこの原潜が出港の動きを見せたのは寄港後一週間めの30日だった。大がかりなメンテが必用だったとも思えない、通常の動きだった。
30日の出港がキャンセルされた後、なし崩し的に寄港日数が延びて行った。船体のメンテに係る寄港延期ではなかったとみられる。
その他の寄港目的の補給にしろ乗組員の休養にしろ、そんなに長い時間が必要なはずがない。先に指摘したヒューマン面でのトラブルがあったと推定されるが、原潜の母港化の地ならしという 目的はなかったのだろうか?

19日に出たコーパス・クリスティがノコノコ戻ってきてまた長期に「休養」をとるなんてことが起きれば、地ならしの疑いがやや濃くなってくる。十分な「見張り」が必要だ。

(RIMPEACE編集部)


1月19日11時過ぎに浦賀水道観音崎付近を南下する原潜コーパス・クリスティ(東京湾ライブカメラ画像より)


2014-1-19|HOME|