原子力空母ジョージ・ワシントン、横須賀出港、任務航海に出発か


6月10日、出港直前の原子力空母ジョージ・ワシントン(25.6.10 星野 撮影)


10時40分頃、12号バースから出てきたジョージ・ワシントン。登舷礼は行われていない(25.6.10 星野 撮影)


飛行甲板の先端部には、警備の兵士や数人の乗組員の姿が見えた(25.6.10 星野 撮影)


艦の最後部。出港の補助をしているのは、日本の民間タグボートだ(25.6.10 星野 撮影)


軍港を出る原子力空母ジョージ・ワシントン(1)(25.6.10 非核市民宣言運動・ヨコスカ 撮影)


軍港を出る原子力空母ジョージ・ワシントン(2)(25.6.10 非核市民宣言運動・ヨコスカ 撮影)


軍港を出る原子力空母ジョージ・ワシントン(3)(25.6.10 星野 撮影)


飛行甲板上はガラガラだ。原子力空母のすぐ後ろに、海上保安庁の放射能調査艇「きぬがさ」がついている(25.6.10 非核市民宣言運動・ヨコスカ 撮影)


6月4日の朝、試験航海から横須賀基地に戻ってきたジョージ・ワシントン(赤い矢印のところ)(25.6.4 非核市民宣言運動・ヨコスカ 撮影)

6月10日、原子力空母ジョージ・ワシントン(GEORGE WASHINGTON CVN 73)が横須賀軍港を出港した。
外務省から横須賀市に事前に通報された出港時間は午前10時頃ということだったが、実際にはそれよりも30分以上遅れての出港だった。

6月10日の出港よりも2週間以上前の5月25日に、この原子力空母は横須賀基地を出港していたが、試験航海だったようで6月4日の朝に横須賀に戻ってきていた。

本格的な任務航海に出発する時には、礼服姿の乗組員たちが飛行甲板の周りに整列する登舷礼が行われるのが通例になっているが、今回の出港の時には行われなかった。
しかし、この原子力空母の出港の際に近くの高台に乗組員の家族あるは関係者とみられる人びとが見送りに来ていたことや、米軍の「準機関紙」と呼ばれる星条旗新聞の6月10日付け記事で、ジョージ・ワシントンが昨年日本に再配備されてから最初のパトロール航海を開始という表現が使われていたことなどから考えると、やはり6月10日の出港が、本格的な任務航海への出港だったのだろう。
登舷礼が行われなかった理由は分からないが、雨天だったからなのかもしれない。

既に6月6日には、防衛省中国四国防衛局から岩国市に対し「米側から、6月 10 日頃から6月 16 日頃までの間、九州沖の洋上で空母着艦資格取得訓練(CQ)を実施する予定である旨の情報が得られた」との「情報提供」がされていたことを考えると、今回のワシントンは、ギリギリの日程での出発だったと言えるだろう。

今年は、原子力空母の定期修理後の、約束違反の放射性廃棄物入りコンテナの艦外搬出が4月17日に行われた後、試験航海に出発するのがかなり遅れ、本格的な任務航海へも、だいぶ日程が詰まった状態での出発となった。
出発を遅らせねばならない何らかの事情があったのだろうか。
横須賀で事故を起こせば東京湾周辺に住む人びとの生命を奪い、生活を破滅させる力を持った極めて危険な原子力空母のことだ、非常に気になるところだ。

なお、ジョージ・ワシントンの出港から約5時間後に、原子力潜水艦ツーソン(TUCSON SSN 770)も横須賀基地の13号バースを出港した。
ツーソンは6月1日から横須賀に滞在していた。
この間東京湾は、3つの原子炉が密集して浮かぶ「原発銀座」になっていたのだ。

6月10日に原子力空母の後を追うように横須賀を出港したこの攻撃型原潜は、ワシントン空母打撃群の一員になる予定だったのだろうか。その点は不明だ。
ともかく実際には、わずか3日後の13日の午前中にツーソンは横須賀に戻ってきてしまったのだった。

(RIMPEACE編集部 星野 潔)


ジョージ・ワシントン出港直後。まだ13号バースに停泊していた原潜ツーソンのセイル(司令塔)(青丸)と後舵(赤丸)が見えた(25.6.10 星野 撮影)


2025-6-15|HOME|