シリーズ・原子力艦船の上空飛行制限(4)

原子力船「むつ」の場合


88年8月25日付け、原子炉施設上空の飛行規制。原子力船「むつ」の付帯陸上施設が2ヵ所指定されている

「世界中の船は原子動力で航行するようになる」
そんなことがまことしやかに言われていた今から40年以上前の1963年、日本初の原子動力船「むつ」の建造母体の日本原子力船開発事業団が発足した。
69年「むつ」進水、70年大湊定係港に回航、72年むつ湾内での出力上昇試験に県魚連が反対、「ホタテを守れ」のシュプレヒコールで全国に知られる。

74年大湊出港後の出力上昇試験で、原子炉遮蔽体の設計ミスのために中性子もれ、4年間大湊に戻れず「漂流」、78年に改修のため佐世保に入港(82年まで)
外洋に面した関根浜に新定係港建設、88年に関根浜回航、実験航海後の廃船も決まった。92年実験航海終了、原子炉停止。
「むつ」の原子炉は加圧水型軽水炉で熱出力約36メガワット、原子力空母の2基の原子炉の出力の三分の一だ。

国内で原子力船の母港(定係港)となったのは大湊、関根浜の2つだけだが、このとき上空の飛行規制はどうなっていたのか。
原子力白書(昭和62年版)の中で、原子力第一船(むつ)は(当然のことだが)原子炉施設の中に含まれている。しかし、同時期に出された航空路誌(AIP)では「原子炉施設上空の飛行規制」の対象となる原子炉施設には含まれていない。
艦船を規制対象施設に入れるという発想が無かったのだろう。

ただし、原子力船「むつ」の付帯陸上施設として定係港の中の施設が指定されることで、母港に入港中の「むつ」に対しても実質的な上空飛行規制はかかっていた。
原潜などの原子力艦船の入港に対して、全く上空飛行規制がかからないのに比べれば、まだマシだ、とも言えるのだろうか。

(RIMPEACE編集部)

[参考文書] 原船「むつ」使用済み核燃料搬出(6/27〜29)をどのように見据えるか?


原子力船「むつ」の付帯陸上施設があった大湊と関根浜


'2006-7-7|HOME|