原子力空母修理の拠点

バージYR−95物語(さすらい編)


YR−95とオーシャンタグ。佐世保から横浜ノースドックにやってきた(05.9.8 撮影)



オーシャンタグが韓国に向かった後、横浜NDに残されたYR−95(05.11.8, 12.27 撮影)

横浜ノースドックのバースが、台風避難などの艦船で全部埋まったのは2005年9月5日だった。最後まで空いていた2つのバースを埋めた のは、佐世保からやってきたバージYR−95とそれを曳いてきたオーシャンタグのアイランド・スカウトだった。後に原子力空母修理 の拠点に変身するバージYR−95が、神奈川に姿を現した瞬間だった。

横浜港管理当局への届けによれば、横浜ノースドックを出港したあと、このバージとオーシャン・タグは韓国・ピョンテクに向かうはず だった。しかし動いたのはタグボートだけで、バージYR−95はノースドックに残された。
2005年12月2日に、原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀配備が発表されるより以前のことだ。

翌2006年3月末に、YR−95はノースドックから横須賀基地に移された。原子力空母の修理拠点に変身するための準備が始まった。 横須賀基地に近い住友ドックにいったん預けられて修理・点検を受けたYR−95は、横須賀基地に戻り、空母修理も出来る6号ドライ ドックに収容された。ここで「上部構造」を付加されて大変身を遂げることになる。

YR−95が佐世保から横浜、そして横須賀へ、という「さすらいの旅」をしたのは、ホテル・バージに変身して原子力空母の修理担当者 を収容するという最終目的のためだった。横浜ノースドックへの係留は、原子力空母の横須賀配備を公表する前のカモフラージュだった。

(RIMPEACE編集部)


横須賀基地に回航されたばかりのYR−95(07.3.31 撮影)


追浜の住友ドックに修理のために預けられたYR−95(06.8.16 撮影)


横須賀基地俯瞰。白丸が6号ドック。改修中のバージが入っている(07.5.20 撮影)


'2008-3-8|HOME|