横田基地概要


 横田基地は東京の西の端に位置し、奥多摩の麓、都心からおよそ40kmのところにある。日本に3カ所ある米空軍基地の一つである。(他に沖縄県の嘉手納基地、青森県の三沢基地がある。)

 横田基地は1940年(昭和15年)旧日本陸軍立川飛行場の付属飛行場として開設され、多摩飛行場と呼ばれた。第二次世界大戦中は日本における主だった航空機試験場であり、陸軍航空審査本部を始め、陸軍航空整備学校、陸軍航空発動機試験所、陸軍航空機気象部等の諸機関があった。当時の滑走路は1200m、終戦直後には180機以上の最新鋭機があった。

 1945年9月4日に同飛行場は米軍に占領された。横田という名称は当時の飛行場の北東にあった小さな村の名前にちなんで付けられた。

 多大な建設計画の結果、横田基地は最も近代的な空軍基地の一つとなり、日本における米軍の主要な飛行場として機能している。

 現在、横田基地には主として3つの司令部-在日米軍、第5空軍、第374空輸団司令部がある。在日米軍司令部は統合軍司令部で、日米防衛関係に影響を及ぼす事柄の調製を行っている。第5空軍司令部はアメリカ合衆国の抑止力政策に貢献し、万が一その抑止が崩れた時には空中作戦を行うため、戦術戦闘機の提供と軍事空輸支援を行う。第374空輸団(横田基地司令部)は極東における唯一の空輸団として空輸支援を行っている。


総面積:

約7,136,000平方メートル 基地の境界は5つの市と1つの町に接している。立川市、昭島市、武蔵村山市、福生市、羽村市、瑞穂町

横田基地の人口(概数)11,100(人)

軍人 4,000人 家族 4,500人 米民間人 800人 日本人従業員 1,800人

滑走路:

全長3,350m 幅員60m オーバーラン 南北に各300m


主だった施設:

 横田基地には在日米軍、第5空軍、第374空輸団、第630航空機動支援中隊、FEN(極東放送)、太平洋空軍音楽隊の角司令部をはじめ、消防、警察、病院、空港ターミナル等の施設がある。

 一般施設としては住宅、小学校、中学校、高校、大学の分校、図書館、銀行、スーパーマーケット、劇場、野球場、ゴルフショートコース、ドライヴィングレインジ、体育館、テニスコート、プール、将校クラブ、下士官クラブ、食堂、本屋、ガソリンスタンド等がある。

 その外に、横田基地の管轄下に多摩市と稲城市にまたがる多摩レクレーションセンターもあり、そこにはゴルフ場、乗馬施設、キャンプ場等がある。


第374空輸団(横田基地)

第374空輸団は全空軍再編成の一環として、それ以前にあった横田基地の第475基地航空団と第374戦術空輸航空団が統合再編成された、1992年4月1日の再編成式をもって一つの航空団として活動を開始した。第374空輸団は太平洋空軍(PACAF)の指揮下に置かれている。同空輸団は太平洋地域で活動する総ての国防省諸機関に空輸支援を提供し、関東及び東京首都圏に人員及び物資の輸送を行っている。その配下には運用群、装備群、支援群、医療群の4つの群(グループ)があり、運用群には第30航空医療搬送中隊、第36空輸中隊、第459空輸中隊がある。第30航空医療搬送中隊はC-9ナイチンゲールを、第36空輸中隊はロッキード社の航空機C-130E/Hハーキュリーズを、また第459空輸中隊はUH-1NヒューイとC-21リアジェットをそれぞれ所有している。

 第374空輸団は平和時には、頻繁に合同訓練に参加することにより常に即応態勢を維持している。訓練に加え、同空輸団は太平洋地域での人員物資の移動と郵便業務のための空輸を提供し、日本国内だけでなく韓国、南鳥島、グアム、タイ等へ定期便を出している。第374空輸団はこの地域での合衆国の統合部隊を支援する。第374空輸団の将兵は「常に質の高いサービス」をモットーに職務に就いている。


横田基地所属航空機

機種

愛称

機数

C-130 ハーキュリーズ 18
C-9A ナイチンゲール 3
C-21 リアジェット 6
UH-1N ヒューイ 3

飛来する主だった中継機

機種

愛称

C-5 ギャラクシー
C-141 スターリフター
C-17 グローブマスター
KC-10 エクステンダー
KC-135 ストラトタンカー


横田基地所属主力輸送機 C-130 ハーキュリーズ

C-130は主として貨物・人員輸送用に設計開発された中距離戦術輸送機で、1954年8月にプロトタイプ(原型)が初飛行して以来、2000機以上が生産されている。

全幅40.41m 全長40.79m 全高11.66m 翼面積162.12F 自重34.360kg 最大巡航速度602km/h

1997年1月1日現在


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