平和運動研究会ニュース  2月号

  最近の米軍基地の動向  神奈川の基地監視から

                   相模原市議会議員  金子豊貴男

  相も変わらぬ基地内工事・建設ラッシュ
   これもみんな『思いやり』

 昨年の神奈川県内の米軍基地の動向を見ると、厚木基地での滑走路の改修工事を始め、相模補給廠での倉庫の建設、逗子池子弾薬庫跡地での住宅建設の一部完成と入居など、次から次ぎへと基地が強化されていく様子を伺うことができる。その背景には、沖縄県に集中する米軍基地の問題、さらにはグァムの海軍基地の閉鎖などが考えられる。神奈川でもきちんと基地問題を取り組んでいかねばならない。以下、具体的に昨年一年のおもな神奈川の基地の動きを追ってみると。

 逗子・池子

 池子弾薬庫跡地への米軍住宅建設は逗子市民の粘り強い反対運動にもかかわらず、1993年5月、下水道の終末処理など住宅建設に必要な前提の整わないまま、市民の激しい抗議の中、住宅の本体建設工事を強行、そして昨年4月、建設費一軒当たり一億円の住宅が一部完成(320戸)入居が始った。そして、引き続き残りの500戸余りの建設が進められている。
 この新規入居後、逗子市は米軍人と市民とのトラブルをなくすため全市民向けのパンフレットを発行したりして、交通事故の時の対応などをピーアールしていたが、8月16日には、米軍のパトロール車が自転車に乗った小学生をひっかけるという交通事故が発生している。これ以外にも4月以来人身事故が9件、物損事故は20件近くも起きている。
 交通事故の頻発は米軍基地(住宅)の建設によって、あらたに市民生活がさまざま影響を受ける実例となった。
 さらに、米軍はこの池子の住宅だけでは不足といい、現在遊休地と化しつつある横浜市瀬谷区の上瀬谷通信隊(現在は上瀬谷支援施設と名前も変えている)に住宅を建設しようと画策している。(詳細は後述)

 横須賀 米海軍司令部 第七艦隊の活発な動き
      安保再定義の実質化


 横須賀を母港とする空母インディペンデンスは昨年2月9日横須賀を出港、米韓や日米の合同演習を繰り返しながら、3月にはマニラに入港、その後中国の台湾海峡への実弾演習監視の名目で台湾海峡で作戦行動、イージス艦を従えての砲艦外交を繰り広げた。
 つづいて、4月には現職大統領としてははじめて、クリントンが横須賀基地を訪問。インディペンデンスの艦上にヘリで降り立ち、予定時間をはるかに越えて将兵を激励した。 5月には、リムパック演習参加のインディペンデンスに替わって、中東に派遣される途中の原子力空母カールビンソンが二隻の原子力ミサイル巡洋艦と原潜などを伴って寄港した。
 一度に四隻もの原子力艦船が横須賀に入港するのは初めてで、原子力艦船に対する市民のアレルギーを解消し、1998米会計年度で引退する空母インディペンデンスの後継艦に原子力空母を持ってこようとする意図が見え見え、こんな事は断じて許せない。
 11月には原潜・カメカメハとトピーカが入港中、通常の三倍の異常放射能が測定された。カメカメハが原潜母艦フランク・ケイブルの要員によって修理中の出来事だった。
 原因追及と測定体制の見直し申入れに対し、科学技術庁は「原因特定できず」と市に文書回答している。
 9月、米軍は44発のトマホークをイラクに打ち込んだが、二回目の攻撃のときには横須賀を母港とするヒューイットからもトマホークが発射されている。そのほか、9月のイージス艦「カーティス・ウイルバー」の母港、11月の日米統合演習への参加など、安保再定義の実質化が目立った横須賀の一年だ。

 厚木海軍基地  滑走路の改修工事や飛行の増加

 空母の母港とは切っても切れないのが厚木基地。インディペンデンスが横須賀に入港する度に、艦載機が厚木基地におろされ、厚木基地の滑走路を空母の甲板に見立てての激しい訓練が昼も夜も繰返される。特に空母が横須賀を出港する前には、激しい訓練が行なわれるため、周辺住民への影響ははかりしれない。
 厚木基地の爆音被害に対する基地周辺住民の闘いは、1995年12月26日、東京高裁での最高裁差戻審判決によって、『厚木基地の爆音は違法だ』ということが確定した。 しかし、この違法状態を解消する手立ては、国によっても自治体によってもなんら取られていないのが現状。こうしたなかで、裁判闘争を進めている厚木基地爆音防止期成同盟では昨年一年間かけて、新たな裁判『第三次訴訟訴訟』の準備を進めてきた。
 一次、二次の裁判が、小人数の原告によって、国に米軍機の飛行差し止めを求めたのに対し、今回の裁判はより多くの原告で損害賠償を勝ち取り、国に厚木基地の維持が金のかかる厄介な物だということを思い知らせることが重要と考えるからだ。すでに厚木爆同会員への説明会が地区毎に開かれ、今月からは市民対象の宣伝活動も始まった。
 市民の爆音をなくす闘いに挑戦するかのように、米軍基地の強化は確実に進められている。
 一次訴訟の判決が出た直前の1995年12月22日、米軍準機関紙スターズ・アンド・ストライブスは『厚木基地の地下燃料タンクが完成』、さらに『飛行機がエンジンをかけたままで給油できる装置・ホットピット』の建設を計画していることを報道した。
 このホットピットが完成すると、厚木基地でのタッチ・アンド・ゴー、離発着訓練がより効率的に行えるようになるので、爆同では建設中止を強く申入れた。
 また、8月からは滑走路の改修工事もはじまり、大型のクレーンが設置され、2月まで大規模な工事が行なわれている。厚木基地の機能強化のために確実に改修工事が行なわれていることが見えており、それらがいずれも『思いやり予算』で行なわれていることはさらに問題だ。
 いっぽう、米軍機の爆音は減少することなく、硫黄島にNLP(夜間連続離発着訓練)の訓練施設が完成し使用が全面的になったにもかかわらず、厚木や岩国、横田や三沢の基地を使ってのNLPも行われている。さらに、最近は米軍機の新米パイロットの訓練からか、飛行コースがでたらめで、相模原市全域や茅ヶ崎など今まで爆音被害のなかったところでの爆音被害が激増している。
 7月2日には空母インディペンデンスの横須賀入港に伴なって、艦載機が厚木に連続的に降ろされ、基地周辺は爆音のるつぼと化した。そして、この日は周辺各市の学校で期末試験が行われていたが、座間市の中学校ではあまりの爆音のうるささに午前中の英語のヒアリングテストが中止に追い込まれるという被害が報告されている。
 この事態に周辺市は猛反発、座間市は市長が直接米軍基地司令官に抗議、米軍は今後事前にテストや大きな行事の連絡があれば飛行訓練を考慮すると回答、その後周辺各市と県は試験日程やイベントを米軍に通告、12月の期末試験の時には艦載機が遠慮して飛ばないという成果もあった。
 しかし、全体的には爆音が増えているというのが実態で、相模原市での騒音記録計のデーターでみると、昨年と一昨年の10月の記録を比較すると90ホーン以上の騒音回数が二・五倍にもなってる。
 また、周辺自治体や住民がこぞって反対している米軍基地の解放日とその前段に行われる曲芸飛行(デモ・フライト)について、昨年も実施されて抗議が相次いだが、昨年暮れには『スターズ・アンド・ストライブス』で厚木基地司令官が「昨年の方が一昨年より抗議の電話が減っている、だから住民の理解が得られている。したがってデモ・フライトを中止する予定はない」とうそぶいている。爆音への抗議電話一つでも手を抜くと逆手に取られてしまう。
 いっぽう、飛行機の事故は日常茶飯事で、筆者が撮影した自衛隊機のエンジントラブルなどは大事故につながる物だ。このほか、米軍機の燃料欠乏による緊急着陸などもあった。こうした爆音被害や事故の続出は改めて基地の住民生活に与える危険性を示すものであり、より一層の闘いの広がりがもとめられる。

 相模補給廠  戦時備蓄と後方支援


 JR相模原駅の北側に横浜窮状の80倍の広さを誇る米軍相模総合補給廠、後方支援基地としての同補給廠は、日頃は「穏やか」「閑散」といったイメージだ。しかし、基地の中は様々な変化がみえる。一昨年春、米本国・シェラ陸軍補給廠から運び込まれたのがコンテナ収納の135マイル分のパイプラインセット。同セットは湾岸戦争で実用化され、相模補給廠に運び込まれたもの。その他にも様々な物資が運び込まれているが、昨年の米陸軍協会発行の文書の中で、相模補給廠が極東米陸軍の戦時備蓄基地としての記述があり、日常的な監視行動の中でも、戦争非常食などの備蓄が見えている。 
 この基地の最近の動向の中で、注目しなければならないものの一つはクリーニング工場の稼働がある。今まで関東地区の各基地毎にあったクリーニング工場が新しく補給廠に出来た大きな工場に集約化され、横田からも、横須賀からも、東京の赤坂からも運び込まれている。同様の物にカミサリー倉庫のオープンもある。関東エリアの売店の倉庫の元締めみたいなもので、毎日の大型トラックの出入りが激しくなっている。そのほかにも倉庫の建て替え、フェンスの改修、構内の排水設備の改修など工事車両の出入りはひっきりなしで、思いやり予算がいくらつぎ込まれているのか、あきれるばかりである。

  横浜ノースドック 新たな機能・海軍補給施設

 
 昨年の12月14日の神奈川新聞は一面トップで「横浜ノースドックに移転かーグァムの米海軍補給施設機能」と報じた。12月8日付の米軍準機関紙・スターズ・アンド・ストライブスの報道を受けての記事であった。その後、参議院議員の国会での質問、県平和運動センター主催の抗議集会の開催など、久し振りに横浜での反基地闘争の動きとなった。 参議院議員の国会での質問・問い合わせに対する回答は以下の通り(原文のまま)
 横浜ノースドッグヘの米海軍補給センター任務の移管について
   八・十二・十八 日米安全保障条約課
  十二月八日付け「スターズ・アンド・ストライブス」紙掲載の本件関連記事に関して、
 昨日以下のとおり回答をした。
 (1)在グァム海軍補給センター(Naval Fleet Industrial Supply Center)の閉鎖に 伴い、同センターの任務が一九九七年一月十三日以降、横浜ノースドックに移管される 予定である。(2)同移管に伴い横浜ノースドックへの新たな部隊の駐留はない。(3) 本件によって、コンテナ補給船は年八回、横浜、シンガポール、ディエゴガルシアのあ いだを四五日サイクルで往復運行されることとなり、その間横浜にはそれぞれ四〜五日 停泊する予定であり、横浜を母港とするものではない。(4)コンテナ補給船は、軍事 海上輸送司令部を通じて契約された、民間人が運行する米国軍籍貨物船である。(5) 横浜ノースドックで取り扱う補給品に、弾薬は含まれない。(6)これに伴ない、横浜 ノースドッグは十七人の日本人労働者を追加的雇用する予定。グァムでは四人解雇する 予定。

 なお、スターズ・アンド・ストライブス紙によれば、輸送されるのは食料、スペア・パーツ、総備品、その他一般物資であり、危険貨物は含まれないとし、これについては空輸を検討としている。また、グァムからの移転によって、海軍は年間二八〇万ドルの節約になるとも報じている。
 このコンテナ船の第一便が今年一月一五日ノースドッグに入港、コンテナ専用船で積んでいたコンテナを一度クレーンで岸壁に降ろし、その後再度船上に積み上げて、一月一七日、出港して行った。
 この動きは日本の安全保障になんら関係ない、インド洋の米軍基地を維持するための物資補給に、日本の思いやり予算で人件費や施設の維持費を提供するといった内容であり、更にこうした施設や部隊の移管が、地元自治体に何等の連絡もないままにされてしまうことである。今回の日米安保再定義の実質化がこんなに明らかになった例はまれではないか。 今後もこのノースドッグの動きについては注意が必要だ。特に沖縄での県道越えの実弾射撃演習が本土の基地に分散される場合、北富士、東富士演習場への海兵隊の上陸がこの基地を使うことは十分予想される。この点も要注意。

  上瀬谷通信隊  遊休化と住宅建設のねらい

 上瀬谷通信隊に乱立していたアンテナは、九一年からつぎつぎと撤去されはじめ、九五年三月には大型受信用のアンテナはすべて撤去された。そして、基地周辺の「電波障害防止制限地域」も撤廃された。基地の看板も『上瀬谷通信施設』から『上瀬谷支援施設』に塗り替えられた。部隊も次々解散や移駐され、現在は第七艦隊哨戒航空団司令部だけになっている。明らかに遊休化した状態だ。この主な理由は『通信の技術が衛星を利用することで飛躍的に進化した点にあるとおもう。
 粉の上瀬谷基地、神奈川県内の米軍基地がほとんど国有地なのに対し、ここでは民有地として戦前の旧地主に払い下げられたものが多く、沖縄とおなじ様に使用期限切れの問題も明らかになった。
 その中で国、防衛施設庁は米軍のいいなり、梅雨払いをおおせつかって、住民の説得にあたっており、地権者の大部分が一部代表に白紙委任するという暴挙にでている。
 ここでも米軍が日本の基地を自分達の意向に添って作り上げようとする意図が読み取れる。
 そして、この広大な基地にあらたに六百戸の米軍住宅を建設しようというのが米軍であり、現在四つの案がある事が明らかになった。今後、この住宅建設を巡って、様々な反対運動が取り組まれることになるだろうが、市民、住民の立場に立たない、国・防衛施設庁の情報隠しを明らかにして、市民の跡地利用案の作成などを通じて基地の全面返還を勝ち取って行きたい。

  終りに

  以上、昨年一年間の神奈川県内の米軍基地の動向を見たが、いずれの基地でも建設ラッシュというのが実感だ。こうした状況をきちんと知らせ、首都東京に隣接する米軍基地の強化の実態をより多くの市民に知ってもらいたい。
 沖縄の反基地闘争の盛り上がりの中で神奈川の基地闘争への関心も高まり、昨年は基地巡りにくる団体も増え、また学習会や講演会も少し増えたのではとも思えるが、まだまだ知られていない爆音の実態など多くの人に体験してもらいたいものである。
 筆者は、昨年秋、横田基地を抱える福生市の遠藤洋一市議、岩国基地の田村順玄・岩国市議、佐世保基地の橋本純子・佐世保市議と共同で『追跡!在日米軍』というインターネットのホームページを開設した。米軍基地の情報をより広く公開し、共有しようとの狙いからである。ぜひ、皆さんも活用していただくようお願いしたい。


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