ニアミス報告書を読む(金子ときお)


2機の航跡図(報告書から作成)

98年8月19日朝、相模原上空で起きた日航機と厚木の艦載機のニアミス事件の運輸省 航空局作成の報告書を読んだ。
東京航空交通管制部(以下東京コントロール)と横田進入管制所(以下横田アプローチ) の管制空域の接点で起きたニアミスだ。
4機編隊のFA18が、岩国に向かう飛行計画だったが、実際は1機だけ先に厚木基地を 離陸し、残りの3機の離陸が遅れた(これは日常茶飯のことだが)。(編隊飛行の場合は 1機として扱うから)横田アプローチは、4機全部が離陸して編隊を組んでから東京コン トロールに管制移管をしようとした。そのためFA18の1番機が、本来ならば既に移管 する高度(この場所では1万8千フィート)を超えて横田アプローチの管制下で飛行し、 東京コントロールの管制のもとに飛んでいた羽田発広島行きのDC10型機(JAL17 1)後方から追い抜いた。
この事故の後、東京コントロールと横田アプローチ、那覇コントロールと嘉手納ラプコン の間のレーダー移管(管制移管をレーダー画面上で行うこと)が自動化された。管制移管 に要する時間は短縮されたのだろうが、連絡ミスというこのニアミス事故の原因の防止策 にはなっていない。
このニアミス事故の後、米軍機はJAL機をずっと視認していたので危険ではなかった、 という見方が在日米軍筋から流れた。ニアミスのたびに流される見解だが、軍サイドの一 方的な見方だとしか言いようがない。両機の高度差は最小で約10メートル(この時の水 平距離は約1740メートル)、水平距離が最小となった時の距離は約1110メートル (この時の高度差は約150メートル)だったという。もちろん管制上許される距離では ないし、極めて危険な距離だ。
もしFA18のパイロットが飛行スーツのジッパーを気にしているうちに(三沢のF16 は実際これで墜落した)JAL機に接近したら、またはもう少しありそうなこととして、 2番機以降の行方を探してJAL機から目を離していたら、そしてJAL機のパイロット が衝突防止装置の指示通りに下降していたら(実際には下方に戦闘機を視認していたので 指示通りの回避をしなかった)、両機の高度差はさらに小さくなっていたに違いない。最 悪の事態に陥いる可能性さえあったと言わざるをえない。
全く仮定の話だが、横田アプローチ・エリアの管制権が日本に返還されたとしても、過密 な首都圏の空を軍用機が頻繁に飛び回る限り、軍用機が当事者となるニアミス事故(最悪 の場合、衝突事故)はなくならないだろう。厚木基地を無くさないかぎり根本的な解決に はならない、と改めて感じる。

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