エードメモワール、日米政府解釈を斬る その2

原子力艦の修理、日米政府間の約束が破られた

日本に初めて原潜が寄港する直前にアメリカ政府が日本政府に出した文書、それがエード・メモワール(1964.8.17)で、原潜は安全である という前提でアメリカ政府が日本政府に約束したことが列記されている文書だ。その後原子力空母の日本初寄港を前に、64年のエード・ メモワールの約束は原子力空母などの水上艦についても適用されると補足され(1967年)、原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀母港化 を進める中で米国政府が説明資料として示したファクトシート(2006年)でも、燃料交換と修理についての64年のエード・メモワールの約束は は「引き続き完全に堅持される」となっていた。(実はこのセンテンスのすぐ後で、エード・メモワールで使われていた言葉の書き換えが おこなわれているのだが)
45年近く前のエードメモワールは、節目節目でその効力を確認されてきたいわば現役バリバリの国家間の約束の文書だ。

原子力空母が横須賀に配備された翌年、横須賀で最初の定期修理が行われた。そこではエード・メモワールによれば行われるはずの無い 原子炉の隔壁内部の一時冷却系の修理も行われた。そして大量の放射性廃棄物が発生し、本国におくるためのチャーター貨物船が仕立てら れた。
そんな馬鹿なことがあるか、とエード・メモワールやファクトシートを調べなおした横須賀市民が見つけて定式化したのが「約束違反の 修理と、書き換え」問題だった。

日本国又はその領海内では行わないとした修理の対象が、エード・メモワールでは"power plant"となっていたのが、原子力空母の母港化 のためにつくられたファクトシートでは"reactor"に置き換えられていた。エード・メモワールの「通常の原子力潜水艦の燃料交換及び 動力装置の修理を日本国又はその領海内において行なうことは考えられていない」からファクトシートでは「燃料交換及び原子炉の 修理は、外国では行われない」となった。
動力装置(power plant)は原子炉で発生させた蒸気でタービンをまわし、その力をスクリューに伝える装置全体を指す言葉だ。海軍が米艦 船の性能・装備などを公表している Fact File でも、攻撃型原潜について Power Plant: One nuclear reactor, one shaft などと説明さ れていた。
"nuclear reactor" が "Power Plant" の構成要素ではあってもそのものではないことは言うまでもない。

横須賀で行われた原子力空母の定期修理は、原子力空母ジョージ・ワシントンの Power Plant のうち原子炉のコアの部分以外がすべて 修理対象になったし、それだからこそ放射性廃棄物が修理の中で排出された。
原子力空母の配備前のファクトシートで「1964年のエード・メモワールの燃料交換及び修理に関する米国の保証は引き続き完全に堅持さ れる。」と述べた直後に、エード・メモワールで修理を行わないとしている範囲を狭めた。逆に言えば修理を行う範囲を広げた。
それを横須賀市民は"Power Plant"から reactor への書き換え問題と明確化したのだ。

公文書の言葉について日米政府もこっそり変えることはできない。それで、エード・メモワールの "Power Plant"というのは reactor と 同義だという解釈を、なんと45年経ってから言いだしたのだ。
横須賀市民の「書き換え」という提起に対応しようとしたこと以外に、いまごろこんなことを言い出す理由はない。

どんな屁理屈でも日米両政府が合意すればそれでおしまい、というのは大きな間違いだ。特にエード・メモワールやファクト・シートは、 原子力潜水艦の寄港や原子力空母の母港化を国民に説明する資料として発表された。国会での野党議員の追及に対し、また地元自治体の 説得のために、これらの文書が繰り返し使われてきた。その内容が現実と反し、約束が守られていないことが明らかになったとき、 両政府が口裏を合わせて、実はこういうことだったんだ、と言っても説得力もないし誰も納得しない。
外交文書を反古にされたのに、米国に抗議するのではなく自国民をごまかそうとするようじゃ、「外交は国の専権事項」といつも繰り 返している国の言い分の底が知れるというものだ。

(RIMPEACE編集部)

[参考ページ]
エードメモワール、日米政府解釈を斬る その1 (2010-4-11)


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