ホワイトビーチ・原潜出港時の放射能モニターに疑義あり


一時寄港後、ホワイトビーチ沖を中城湾出口に向かう原潜オクラホマ・シティー。手前は原潜出港後基地に戻る米軍警備艇
(2014.12.19 10:19 撮影)


WB沖を遠ざかるオクラホマ・シティーと、700m以上離れて並走する海保のボート。陸軍桟橋に停泊しているのは音響測定艦
(2014.12.19 10:18 撮影)

12月19日10時過ぎにホワイトビーチ(WB)の見える地点に着いた。音響測定艦インペッカブルにタグ2隻がつながって、これからホワイトビーチの岸壁に向かう、というところだった。 (音響測定艦3隻WB集結の記事は当日アップ済)
なじみのある、細くて長い航跡が目に入った。双眼鏡で確認すると、やはり原子力潜水艦が走り去るところだった。艦名がオクラホマ・シティ、出港時刻が9時59分というのは、のちに原子力 規制委員会のウェブサイトの中にある「原子力艦寄港における放射能調査結果」(原子力規制庁監視情報課放射線環境対策 室)で、当日の金武中城港の調査結果レポートを見て分かった。

出港する原潜を望遠レンズで追っていて、違和感を感じた。追尾する放射能モニターシップがいなかったからだ。「かつれん」(海保の船)が船尾についているはずだ、と思ったが、原潜を追尾 する船は見えなかった。海保の船がどこかにいないかとおもって探すと、大分離れて陸側を進む白い船がいた。原潜の進路を漁船などが妨害しないようにしている警備担当の船にしか見えなかった。

モニターシップが出なかったのは米軍の連絡漏れか外務省の連絡漏れか、と思いながら22日の発表を見て驚いた。「かつれん」による放射線の測定結果が出ていた。


原潜出港の途中から見ただけだが、それでも調査日時の中には十分入っている。もしかすると、警備するように走っていた白い船が「かつれん」だったのだろうか?
そうだとすると、原潜の航跡も追わずにどうやって海水の「調査」を進めたのだろうか?
この時の風は東南東の風。WBの基地内の日の丸と星条旗は西北西の方角にたなびいていた。原潜より風上の側にいて空間の放射線の測定が有効にできるのだろうか?

原潜キーウェストがWBに一時寄港して出港する際、「かつれん」はキーウェストを追尾していた。横須賀でも原潜出港時には海保のモニターシップが追尾している。(下記[参考ページ]参照)
原子力艦入出港時の放射能チェックは、放射能被害から国民を守る大切な仕事だ。今回の海保の船のコースが通常のWBの「出港時調査コース」だったとしたら、原潜出港時に異常があった 場合でも検出出来ない恐れがある。

規制委員会のサイトにある「原子力規制委員会への御質問・御意見」のフォームで、22日に質問を投げた。原潜の出港を目撃したこと、写真も撮っていることを告げて「かつれん」の当日の航跡について尋ねた。年内に 返事はきていない。

(RIMPEACE編集部)

[参考ページ]

  • 原潜、ホワイトビーチ沖合一時寄港(14.8.20更新)
  • 原潜シャイアン、空母を追うように横須賀出港(11.9.20更新)


    19日の原潜(赤)と海保ボート(青)の航跡推定図。陸上のポイント1が上掲写真の撮影地点。その後2に移動して撮影を続けた

    追記 疑義解消


    原子力規制委員会の担当者から、正月休み明けにメールがあり、さらに一往復のメールのやりとりで、「かつれん」が現場にいたことが判明した。
    上掲の左の白いボートは「かつれん」ではないこと。上掲写真の撮影時に「かつれん」はまだ原潜の停泊場所で採水していたこと。その後原潜を追跡したこと、をメールで知らされた。
    同時刻に撮ったインペッカブルの写真を精査すると、「かつれん」の船体はインペッカブルの陰に隠れていたが、海保の旗と、モニター中を示す信号旗が覗いていた。その後、原潜からだいぶ はなれての追跡になったので(当方の計算では1キロ半ほど)、原潜中心の撮影では視界に入らなかったもの。予想よりはるかに離れて追跡していることがある、というのが今回の反省点だ。 (2015.1.6 編集部)

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