第1軍団司令部座間移駐の目的を推察する

A キャンプ座間は、以前から増援戦略の拠点だった


キャンプ座間には、有事に増援される軍団司令部が以前にもあった。1972年5月に沖縄から移動してきた第9軍団は、司令部機構のみの軍団だった。しかし有事には予備軍部隊を配下に加えて、5個以内の師団を指揮する軍団に増強されるものだった。(第9軍団のミッションより)

1995年9月に第9軍団が現役から外れる時のセレモニーで、太平洋陸軍司令官オルド3世中将は「第9軍団は、国家安全保障の要件の変化に従って退役する。日本の安全保障のためにより効果的、効率的な支援機構を作るために、陸軍は第9軍団を退役させる」と述べた(95.9.24 星条旗新聞)
この記事では、第1軍団の連絡部隊が創設され、そして第1軍団は太平洋地域での戦争遂行に責任を持つ陸軍部隊だ、と続けている。

9年後の2004年に、この第1軍団の司令部が座間に移駐してくる、という案が米軍トランスフォーメーションの中で持ちあがってきた。軍団司令部のみがキャンプ座間に来るということでは同じように見える第1軍団司令部と第9軍団司令部に、どんな違いがあるのだろうか。

現役の戦闘部隊を指揮下に持ちながら座間に来る、という点が第1軍団司令部と第9軍団の最大の違いだ。司令部機構だけの第9軍団のミッションは、太平洋地域における偶発的な事態に対処するプランに従い、司令部の中核の機能を維持するというものだった。
これに比べて、第1軍団は現役兵士2万人を抱え、軍団の戦争計画には韓国の防衛と日本の防衛が含まれている。「第1軍団は、米太平洋軍傘下のメジャーな作戦司令部として、太平洋軍司令官から、太平洋戦域で起きる偶発的な危機に即応する常設の統合任務部隊の一つに指定されている。」(第1軍団司令官の上院軍事委員会の小委員会での証言

韓国の「2004年国防白書」には「増援戦略」の存在が明示された。第1軍団司令部は、朝鮮半島有事の際に、真っ先に投入される部隊を指揮する。増援戦略の担い手なのだ。韓国から陸軍を削減して、増援戦略でその穴埋めを行うというのが、米軍トランスフォーメーションの核心部分の一つだ。
この増援戦略が、韓国に米軍を駐留させておくのと同等の効果を発揮することの担保として、第1軍団司令部を日本に移転するという計画が出てきた。安保の極東条項に明らかに反する提案に、米側がここまで固執する背景には、こんな事情があると考えられる。

もともと戦時に備えた備蓄(War Reserve)については、在韓米軍と在日米軍で分担して保管している。陸軍の備蓄セットが世界中に5つあるが、そのうちのAWR−4(Army War Reserve - 4)は韓国のキャンプ・キャロルと相模補給廠に保管してある( FASのSealiftのページ)。「陸軍資材軍はAWR−4の改善につとめ、韓国で使用するための内陸部石油輸送システム一式を相模補給廠に送った」(資材軍司令官、1995年10月発行の Green Book より)
公明党がキャンプ座間を見学したときに、在日米陸軍が在韓米軍や韓国軍に提供可能な物資を一万トン備蓄していると説明された。韓国軍への提供は憲法が禁じる集団的自衛権の行使にあたる、として衆議院予算委員会で公明党の書記長が問題にしたのは1988年2月のことだった。隔世の感は否めないが、これは第9軍団が座間にいたころの話しだ。

戦時備蓄の使用目的からもわかるように、第9軍団が有事の際に増援される、という時の有事には、朝鮮半島有事が含まれていた。いや、含まれるというよりも、主に朝鮮半島有事だった。日本有事のみと解釈するのは、同床異夢でしかなかった。その点があいまいにされたまま、今回米軍のトランスフォーメーションで在韓米陸軍が縮小されることになった。縮小の補完としての増援戦略の舞台に引きこまれる日本に、米国からつきつけられているのが「第1軍団のキャンプ座間への移駐」だ。

(RIMPEACE編集部)


  • はじめに
  • @ 在韓米陸軍の削減と、第1軍団司令部座間移駐との関係
  • B 「基地の共同使用」に潜むもの
  • C 第1軍団は、有事に数万の規模で増強される
    2005-3-9|HOME|